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新潟地方裁判所長岡支部 昭和49年(ワ)144号 判決

原告

佐藤吉一

右訴訟代理人弁護士

仙谷由人

遠藤昭

被告

理研精機株式会社

右代表者代表取締役

西川勉

右訴訟代理人弁護士

高島良一

山田昇

森口静一

主文

一、原告は被告に対し、被告が昭和四九年七月六日付および同年一〇月八日付で原告に対してなした各休職処分の付着しない労働契約上の権利を有することを確認する。

二、被告は、原告に対し、金三一七、六〇〇円を支払え。

三、被告は、原告に対し、金八、三三二、九三三円とこれに対する昭和五四年七月一四日から完済まで年五分の割合による金員、並びに、昭和五四年七月二一日以降毎月二八日限り一ケ月金一三〇、五六四円を支払え。

四、訴訟費用は被告の負担とする。

五、この判決は、第二・三項につき仮に執行することができる。

事実

(請求の趣旨)

主文第一・二・三・四項と同旨の判決および第三項につき仮執行の宣言を求める。

(請求の原因)

一、当事者 労働契約の成立

(1)  被告は、工作機械器具の製造・販売を主たる業務とする株式会社である。

(2)  原告は、昭和三九年四月、被告会社に入社し、昭和四九年三月二二日以降、管理課検査係の業務に従事している者である。

二、第一次休職処分

被告は、昭和四九年七月六日、原告に対し、口頭で、「原告に、労働協約の精神に添った経営理念の精神を否定する言動があったので、昭和四九年七月八日から三ケ月間休職にする。」旨の意思表示(以下、第一次休職処分という。)をした。

三、第二次休職処分

被告は、さらに、同年一〇月八日、原告に対し、「同日から一ケ月間休職にする。」旨の意思表示(以下、第二次休職処分という。)をした。

四、懲戒解雇処分

次いで、被告は、同年一一月二九日、原告に対し、「労働協約第五二条、就業規則第五九条・第七九条により懲戒解雇する。」旨の意思表示(以下、本件懲戒解雇という。)をした。

五、第一次・第二次各休職処分の無効原因

(一)  休職事由の不存在

(1) 被告(以下、会社ともいう。)と原告が所属している理研小千谷工場労働組合(以下、組合という。)との間に締結されている労働協約第四九条には、休職事由として左のとおり定められている。

「1 業務外の傷病により欠勤が引続き四ケ月に及んだ時。

2 家事都合、その他の事由で欠勤が引続き三〇日に及んだ時。

3 刑事事件に関係し起訴された時。

4 公職に就任し会社業務に支障ある時。

5 組合業務専従者又は組合に関連ある外部組合関係、諸団体の役員に就いて会社業務に従事できない時。

6 その他特別の事情があると認めた時。」

(2) しかしながら、原告には、右休職事由に該当する事実は全くない。

(3) よって、被告がなした第一次・第二次各休職処分(以下、右の両者を本件休職処分と総称する。)は無効である。

(二)  適用条項の誤り

(1) 被告は、原告に対する懲戒として本件休職処分をしたものである。

(2) しかしながら、休職制度と懲戒制度とはその制度の本質を異にするものである。

即ち、休職処分は、「懲戒処分のように従業員の責任追及のためになされるものではなく、就労が不能かもしくは適当でない期間、一時的に従業員たる地位を保有させたまま就労を禁止する処分であり」(横浜地裁昭和四〇年一一月二六日決定、労民集一六―六―一〇〇二)、労働者にとっては非懲戒的な処分であって、事実の存否等について使用者の判断を経るまでもなく客観的に明白な事実に対して行われるものである。

被告会社の休職制度も同様であって、労働協約および就業規則に定める休職条項を概観するだけでもこのことは明らかであり、被告が従業員の非行・不行状を理由にして休職を命ずることはできないというべきである。

(3) また、被告会社における懲戒処分は、懲戒解雇を除くと、その最も不利益な処分は「出勤停止一〇日以内」である。

しかるに、本件休職処分は、二回に亘り合計四ケ月の期間行われたものであり、しかも第二次休職処分については賃金の支給は全くなされていない。

このような重大な不利益をもたらす休職処分を懲戒処分としてなすことは、懲戒手続によらず、懲戒条項に基くことなく、かつ、定められた懲戒処分以上の不利益処分を課すことを許すことになり、不当であるというべきである。

(三)  不当労働行為

本件休職処分は、被告が原告のなす正当な組合活動を嫌悪・敵視し、これを決定的な理由として、原告を企業外に排除する目的でその第一歩としてなされたものであるから、労働組合法第七条第一号・第三号に違反し、無効である。

(1) 原告は、昭和三九年七月一日以降、組合に所属し、真面目でかつ熱心な組合活動を行ってきた。原告の組合等における役員歴は左のとおりである。

(イ) 昭和四四年七月二四日から昭和四六年七月まで、組合青年部副部長。

(ロ) 昭和四六年七月から昭和四八年七月まで、同青年部部長兼組合執行委員。

(ハ) 昭和四八年七月から昭和四九年七月まで、組合執行委員。

(ニ) 昭和四八年一二月六日から昭和四九年九月まで、小千谷地区労働組合協議会(以下、単に地区労という。)の青年婦人部書記長。

(2) 原告がなした組合活動の一例を示すと、左のとおりである。

(イ) 会社は、昭和四八年六月に、NC班を二交替制勤務にするとの方針を提案してきた。これに対して、原告は右提案に反対し、かつ、青年部長として青年部役員会ならびに青年部臨時大会において右提案に反対する旨の決議をとりまとめ、これを組合執行委員会に図り、また会社に説明会開催を申入れてこれを実現させるとともに、組合臨時大会の開催を要求する署名を集めて組合執行部に申入れをなし、組合全体としてこの二交替制勤務実施に強く反対するよう求めた。

組合は、従来から、元組合執行部経験者が数多く会社幹部となっていることからも明らかなように、労使協調もしくは労使一体的色彩が強く、昭和四八年当時も、原告ほか若干名を除いては、下級職制がイニシアチブをとり、会社の独特な経営理念を唱道し、一般組合員に顔を向けるのではなく会社の方に顔を向け、組合員の生活と健康を守ることよりも会社の利潤追求に積極的であった。したがってNC班の二交替制も、多くの組合員が反対するなかで会社は原告を配置転換するなどし、組合執行部もこれを容認することによって、ようやく実施されたのであった。

(ロ) 原告は、昭和四八年八月、会社が組合と労働基準法第三六条にいう協定(いわゆる三六協定)を締結していないにもかかわらず残業を半ば強制的に行っていることを追及したりした。

(ハ) 原告は、組合員のよりよい労働条件を獲ちとるために、昭和四八年の年末一時金闘争、昭和四九年の春季闘争において、執行委員として、また青年部活動家として、組合内で活発に意見を述べ、また青年部の意見を集約し、ビラ等で情宣活動を行なった。

3(イ) 会社は、原告がNC班二交替制反対の活動をしたころから、原告の組合活動に着目し、これを嫌悪し始め、原告の右活動が会社の経営理念に反するものであると捉えるとともに、原告を何としてでも企業外に放逐することを企図し始めた。

(ロ) 会社は、原告が組合活動としてNC班の二交替制実施に反対しているにもかかわらず、このような反対を圧殺して二交替制を強行すべく、「二交替ができない人は移って貰う」などとの口実で原告を昭和四八年八月一日付でラム課へ配転し、なおかつ原告が年末一時金闘争や春季闘争で活発な活動を展開するや、検査課検査係なる職場を新設し、原告を生産機械の従事からはずしていわば閑職に追いやるとともに、職制の監視下におき、一挙手一投足を監視するなどの不利益を加えた。

(ハ) 会社は、原告を配置転換し、あるいは原告を懲戒するにあたり、いずれも、「原告ら青年部のNC班二交替制反対の態度やビラの内容が、組合の真意であるかどうか」、「真意であるとすれば、会社は態度を考え直し、工場移転等を考え直さなければならない」等と組合に申し向けていわば組合を恫喝したうえ、融和的な組合執行部と一体となって二交替制を強行実施し、もしくは、原告を懲戒(休職)処分に付したものである。

(ニ) このような経過は、一連の配置転換や本件休職処分が、原告の組合活動に対する制裁としてなされたものであることを如実に物語っているというべきである。この点は左の事情を考慮すればまことに明瞭である。

(a) すなわち、原告を懲戒処分に付すべく開かれた賞罰委員会において、冒頭、被告副社長西川は、

「昨年夏以来佐藤吉一君の件を考えていたが……彼の一連の行動と考え方を分析した時、本人・会社・従業員から見ても、プラスかマイナスかを考える時、毎日不平不満を抱いている本人なら本人の為にも会社に居ない方がプラスと思うがどうか」

とのべ、さらに被告常務佐藤は、

「その前に質問するが、昨年夏以来職場内にビラ係として数回に亘り配布されたビラの内容やそのビラについて、組合側は全面的に認められるものかどうか伺いたい」

とのべている。

(b) 昭和四九年六月二四日に開かれた賞罰委員会に提出された「会社見解」なる文書は、原告の労務履行過程における非違行為については抽象的にも何ら言及してないばかりでなく、むしろ、「昨年夏以来『理研青年部ビラ係』なる名称で前述の精神を踏みにじり、否定するかの如き文章がしばしば流され、憂慮して参り、それらが公正妥当な組合の意思を反映した組合活動であるなら会社も経営姿勢を甚だ残念ながら変えざるを得ないとの結論の上に立ち、種々検討を始めましたところ、ビラ係なるものが公正な組合活動から逸脱した佐藤吉一君個人の見解であるものが多く、更に又従業員の多数は彼の言動に脅威を(ママ)与えて居る……」との記載からも明らかなごとく、懲戒の対象となった原告の行為は、まさにビラ作成行為であって、とりわけビラの内容が懲戒の対象とされたことが明瞭となるのである。

(ホ) すなわち、被告が原告を第一次休職処分に付すについては、まさに原告がビラを作成したと断定し、そのビラの内容こそが懲戒処分該当事由であると強く信じていたものであり、これに対する制裁としてなされたものである。

そして、第一次休職処分に続いて、第二次休職処分、第三次処分(懲戒解雇)も右と全く同じ観点から同じ理由をもって行われたのである。

(4) 右のごとき処分は、典型的な組合活動に対する不利益取扱いであり、またそのやり方は明らかに組合に対する支配介入行為である。

(四)  手続上の瑕疵

被告は、本件休職処分をするに際し、賞罰委員会において原告の弁明を一度も聴取することなく、本件休職処分を決定したものであるが、このような手続上に瑕疵のある処分は無効であるというべきである。

六、第二次休職処分の無効原因

第二次休職処分は、一事不再理の原則に違反しており、無効である。即ち、第二次休職処分は、第一次休職処分と全く同一の事由を対象としてなされた懲戒処分であるが、このような処分は一事不再理の原則に反して許されないというべきである。

七、本件懲戒解雇の無効原因

(一)  懲戒解雇事由の不存在

(1) 会社の就業規則第七九条には、懲戒解雇事由として第一号ないし第一一号が定められている。

(2) しかしながら、原告には、右懲戒解雇事由に該当する事実は全くない。

(3) よって、被告がなした本件懲戒解雇は無効である。

(二)  一事不再理の原則違反

(1) 本件懲戒解雇は、第一次・第二次休職処分と全く同一の事由を対象として三度目の懲戒処分としてなされたものであるが、このようなことは憲法第三九条に定める一事不再理の原則の趣旨に反して許されないというべきである。もしもこのようなことが許されるとすると、従業員の地位は極めて不安定なものとならざるをえず、極めて不当である。

また、懲戒処分として休職処分に付することができるかどうかについて(右が許されないことについては前述のとおり。)はともかくとしても、休職処分が労働者にとって不利益をもたらす処分であることに変りはないから、一事不再理の法理が適用されるべきことに変りはない。

(2) この点について、大阪地裁・昭和五〇年七月一七日判決(労働判例二三五―三九)は、「すでに懲戒処分によって責任を追及された右事実をもって、さらに後に懲戒解雇ないしこれに代るべき普通解雇の事由とすることは、原告らが同一の事由について再度その責任を追及され、二重の不利益を受けるという結果となるわけであり、このようなことは、懲戒が労働者に対する制裁であり、不利益処分であることからして許されないものと解するのが相当である。」とのべ、同一の事由によって二重に処分することは許されないということを認めている。

(三)  不当労働行為

本件懲戒解雇は、労働組合法第七条第一号・第三号に反する不当労働行為であり、無効であるが、その理由は前記五の(三)でのべたとおりである。

(四)  懲戒解雇権の乱用

本件懲戒解雇は、すでにのべたような無効な休職処分を前提とし、原告がこれに反省・改悛の情を示さないとしてなされたものであり、しかも同一事実に対する三度目の処分であり、原告を企業外に排除することのみを目的としてなされたものであるから、懲戒解雇権を乱用したものであって無効である。

(五)  手続上の瑕疵

被告は、本件懲戒解雇をするに際し、原告の弁明を一度も聴取することなく、本件懲戒解雇をしたものであるが、このような手続上に瑕疵のある処分は無効である。

八、原告の給与等

(一)(1)  原告は、昭和四九年七月ころ、被告から、毎月二八日限り、一ケ月金七九、四〇〇円(前月二一日から当月二〇日までの分)の割合による給与を得ていたが、本件休職処分がなされた四ケ月間は全くその支払を受けていない。

(2)  本件休職処分は前記のとおり無効であるから、被告は原告に対し、右期間の給与(合計金三一七、六〇〇円)を支払う義務がある。

(二)(1)  本件懲戒解雇がなかったならば、原告が被告から得べき給与は別表(略)第一給与明細表記載のとおりであり、かつ、原告が被告から得べき賞与(本給×支給月数)は別表第二賞与明細表記載のとおりであり、本件懲戒解雇がなされた日の翌日である昭和四九年一一月三〇日以降昭和五四年六月分までの右の合計額は金八、三三二、九三三円である。

(2)  本件懲戒解雇は前記のとおり無効であるから、被告は原告に対し、右未払給与および未払賞与を支払う義務がある。

九、結論

よって、原告は、被告に対し、

(一)  本件休職処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認と、

(二)  前項(一)の金三一七、六〇〇円の支払、

(三)  および前項(二)の金八、三三二、九三三円とこれに対する「原告の昭和五四年七月一三日付請求の趣旨拡張の申立書」が被告に送達された日の翌日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払、

(四)  並びに、昭和五四年七月二一日以降毎月二八日限り、一ケ月金一三〇、五六四円の割合による給与の支払

を求める。

(被告の答弁)

一、請求原因一の(1)・(2)の事実、同二・三・四の事実、同五の(一)の(1)の事実、同七の(一)の(1)の事実、同八の(一)の(1)の事実は、全て認める。

二、同八の(二)の(1)のうち、原告が引続いて被告会社に勤務していたならば別表第一のとおりの給与を得ていたであろうこと、および、原告が皆勤したならば別表第二のとおりの計算で算出された額の賞与を受けていたであろうことは、いずれも認める。但し、被告会社では、賞与について欠勤控除を行っているところ、原告は、昭和四八年一一月一日から昭和四九年四月三〇日までの間に合計一六回の遅刻・早退・外出をしているので、欠勤控除は五日分となる。この実績を基準として昭和四九年一二月以降の各期賞与を計算すると、別表第三記載のとおりとなる。

三、その余の請求原因事実はすべて争う。

(被告の主張)

第一、原告の経歴

原告は、昭和四四年一一月一日以降製造部油圧課NC班(以下、NC班という。)に、昭和四八年八月一日以降製造部ラム課機械係旋盤特殊班(以下、ラム課という。)に、昭和四九年三月二二日以降管理部技術管理課検査係(以下、検査係という。)に、それぞれ配置されて勤務していた。

第二、本件休職処分および本件懲戒解雇の理由

原告には、労働契約に基く義務をその債務の本旨に従って履行しなかった違法があり、その具体的事由は次のとおりである。

一、就労義務違反

(一) 労働者は、労働契約により、所定労働日(適法に就労させうる休日を含む)に所定労働時間(適法に延長された時間も含む)、使用者のために労働することを約したものであるから、その労働日の労働時間中は労働すべき義務を負う。ただ、労働者はその責に帰すべからざる事由がある場合に限り、所定労働日の所定労働時間に労働しなくとも、債務不履行の責任を問われることはないのである。

(二) 義務違反の具体例

昭和四八年八月以降、原告の遅刻、早退、半日休暇および外出はつぎのとおりである。半日休暇というのは、一日四時間以上遅刻し、または四時間以上早退した場合の出欠勤の取扱いである。

(1) 遅刻

月日 時間 理由 届出日

(イ) 昭和四八年八月九日 一・〇四 私用 八月九日

(ロ) 一一月一二日 二・一二 〃 一一月一二日

(ハ) 昭和四九年三月一一日 二・二三 家事 三月一一日

(2) 早退

月日 時間 理由 届出日

(イ) 昭和四八年一〇月三〇日 一・五一 自動車学校 一〇月三〇日

(ロ) 一一月九日 一・二五 〃 一一月九日

(ハ) 一二月一一日 二・二六 〃 一二月一一日

(ニ) 一二月一二日 三・二九 〃 一二月一二日

(ホ) 一二月一三日 一・一九 〃 一二月一三日

(ヘ) 一二月二〇日 二・五八 〃 一二月二〇日

(ト) 昭和四九年一月二一日 一・四九 私用 一月二一日

(チ) 二月三日 二・五五 〃 三月一一日

(3) 半日休暇

月日 理由 届出日

(イ) 昭和四八年九月一日 家事 八月三日

(ロ)  九月二七日 私用 九月二七日

(ハ)  一〇月八日 家事 一〇月八日

(ニ)  一〇月一三日 私用 一〇月一二日

(ホ)  一〇月二六日 自動車学校 一〇月二六日(早退)

(ヘ)  一二月一日 地区労ピケ・私用 一二月四日

(ト)  一二月二二日 自動車学校 一二月二二日(早退)

(チ)  一二月二四日 家事 一二月二四日

(リ)  一二月二七日 私用 一二月二七日

(ヌ) 昭和四九年一月二五日 〃 一月二五日

(ル)  二月一五日 家事 二月一五日

(ヲ)  二月二二日 〃 二月二二日

(ワ)  二月二三日 金属動員 二月二二日

(カ)  三月一八日 家事都合 三月一八日

(ヨ)  三月二〇日 〃 三月二〇日

(4) 外出(四時間以内の不就労)

月日 時間 理由 届出日

(イ) 昭和四八年八月三〇日 一・〇二 私用 八月三〇日

(ロ)  九月二七日 二・〇七 〃 九月二七日

(ハ)  一〇月一六日 一・一一 自動車学校 一〇月一六日

(ニ)  一〇月二四日 〇・一九 私用 一〇月二四日

(ホ)  一〇月二五日 一・一二 自動車学校 一〇月二五日

(ヘ) 昭和四九年一月二八日 二・〇四 私用 一月二八日

(ト)  二月五日 一・三六 〃 二月五日

(チ)  三月一日 二・二三 〃 三月一日

(リ)  三月二五日 一・五五    (通院)

(三) これらの出欠勤状態をみると、昭和四八年八月一日から翌四九年三月三一日までの所定労働日一九二日のうち、遅刻、早退、外出の回数は実に三五回に及ぶのであって、その理由も私用一五回、家事都合八回、自動車学校の受講一〇回である。

右は、その頻度の点からみても、労使の常識ではとうてい考えられない回数である(労働意欲のある者であれば、病気以外の理由でこれだけ頻繁に遅刻、早退、外出をくりかえすことはできない。)のみならず、その理由の点からみても、それが原告の責に帰すべからざる事由にあたるものは一つもない。とくに原告は、自動車の運転免許を取得するため自動車学校で受講するという理由で一〇回も早退(半休を含め)している。いかなる時間帯に受講するかは原告が自動車学校との話合いで決めることであり、当然、労働時間外にその時間帯を選ぶことができることがらである。しかるに、自動車教習のために労働義務を懈怠することは、その就労義務の不履行であるばかりでなく、会社の業務を軽視する態度の現われであり、その結果、同じ職場で勤務している班長や同僚にそれだけ仕事の負担をかけ、これらの者との連帯関係ないし信頼関係を害する結果を招いている。

(四) 原告は、半休は、年次有給休暇であるから、半休で休むことは権利の行使であり、会社が時季変更権を行使しない限り、請求した時季に就労義務を免除され、これをいかに利用するかは労働者の自由であると主張する。

(1) 年次有給休暇(年休)は、労働者が労働の継続によって累積した疲労を回復し、またはよりいっそう健康で文化的な生活を享受するためには、労働者に対し、ある程度まとまった期間、賃金を失うことなく、就労義務から解放される日を与える必要があることにかんがみ、労働力の維持、培養する効果を考え、かつ継続して労働したことに対する報償の意味も含めてこれを定めたものである(年休ほんらいの趣旨)。いいかえれば、労働者がその権利として休暇をとる(就労義務を免除される)ことができ、しかも賃金を失わないのは、その制度の趣旨にそって請求した場合に限る。

(2) 年休は、ほんらいの趣旨にそわないで、名目のうえだけ年休ということで休暇を求めたとしても、それは労基法に基づく権利として保護されるものではない。たとえば、さぼるために年休を請求したとしても、それは、労基法にいう年休の請求として保護されるものではない。労働者にさぼる権利はないのである。病気を理由とする休暇の請求もそうである。病気による不就労は、労働者の責に帰すべからざる事由によるものとして債務不履行の責任を問われないとしても、賃金請求権はない(民法五三六条)。いいかえれば、労働者の不就労につき、たんに労働者の責に帰すべからざる事由があるということは免責事由ではありえても、休む権利を与えるということにはならないし、まして、賃金を得て休む権利があるとの理くつは、労基法をどのように解釈してもでてくるものではない。

(3) それにもかかわらず、わが国では、年休ほんらいの趣旨にそわない理由に基づく欠勤(たとえば病気による欠勤)でも、これを年休としてとることを認めるという慣習がある。これを年休への振替えということができる。その趣旨は、その欠勤に対して賃金を支払うということと、勤態不良として取り扱わないということである。

いうなれば欠勤を大目に見て、経済的にも不利益を与えないという使用者の恩恵的措置である。

「労働者は、その責に帰すべからざる事由がなければ労働しないこと(欠勤もその一つである)について債務不履行の責を免れず、賃金を請求することはできない」という債権法の原点に立ち帰って考えるならば、少くとも、労働者の責に帰すべき事由による欠勤もしくは法的に是認しえない欠勤、または、使用者がいくら大目に見ても許容しえない事由による欠勤についてまで、使用者に対し、勤態不良として取扱わずかつ賃金の支払をせよとまで要求しえないことは明らかであろう。そうしてみれば、年休への振替えが是認されるためには、労働者にその欠勤が勤態不良といえないだけの事由、すなわち、労働者の責に帰すべからざる事由またはやむをえない事由を必要とするとともに、使用者の承認を必要とすると考える。したがって、この場合には、振替えの理由を使用者に告知することを要する。

(4) しかるに、原告は、前記期間中に私用、家事都合の理由で一〇日間の有給休暇をとったほか、四時間以上にわたる遅刻、早退たる実質を持った半休を私用、家事都合、自動車学校受講等やむをえないとは認められない事由で一四回もとっているのであるから、これらを総合して、勤態不良といわれてもいたしかたがない。

(五) つぎに遅刻、早退、半休、外出の届出の仕方にしても、不誠実というほかはない。すなわち、原告が前日に届出をしたことが明白なのは、昭和四八年九月一日(半休)、一〇月一三日(半休)、同四九年二月二三日(半休)の三回だけである。

早退は、当日事前にその届出をすることもあったが、時には届出をせずに早退したこともあり、半休にあたる遅刻や外出の場合には、外部から上司に電話で連絡し、上司が届出を代筆したこともあったし、また、いきなり朝電話で休むと連絡しながら、午後出勤することもあった。

(六) 原告の勤務状態は右のごときものであったから、業務の進捗に支障をきたしたことはいうまでもない。

(1) 会社では年間の生産計画を定め、これを六ケ月ないし三ケ月ごとに修正するが、これに基づき、月間の生産計画表が作成される。これに基づき各人の作業の週間予定表(日程表)が作成され、班長は各人にこれを示して作業を指示・命令する。

(2) 昭和四八年九月二四日から二九日までの週を例にとると、

(イ) 九月二四日に原告は、予定されていた作業のうちSR―一一五三SPL1とR―九三SPみぞ入れの作業は終えたが、R―三五SPL2の作業は終らず、翌二五日に持ち越した。

(ロ) 翌二五日には持ち越した作業をした。R―五三SPねじは残業で処理したが、この日は原告は残業をしていないので、他の者が処理したということになる。

(ハ) 九月二六・二七日には二日分のものとして一一〇八CSPL2、R三五CyL2の作業が計画されていたが、二七日には原告は合計六時間七分勤務に就いていないので、作業が遅れたことは明白である。

(ニ) 九月二八・二九日には、二日分の作業としてSR一三三二CyL2が計画されていた。

このようにして、原告に割り当てられた作業は、同人が残業によってこれを消化しなかったため、他人に残業をさせる結果となり、また予定作業を完了することができず、あとの工程の進捗にも障害をもたらしたのである。

(3) 遅刻、早退、外出等について事前に届出があれば、どうしてもしなければならない仕事がある場合には、本人にその仕事をしてもらうか、または他の従業員に昼間その仕事をしてもらって、同人の仕事は残業してやってもらうなどという措置を講ずることができる。しかるに原告は、ほとんどの場合事前に届出なかったので、すでにすべての予定が組んであるその日の予定を急に変更することができず、作業に穴があき、またどうしても原告に予定されている作業が必要なものであれば、他の従業員にその作業をさせなければならず、そのために同人の作業ができなくなり、生産に影響を及ぼす結果となった。

(なお、原告は、しばしば職場を離れるなど、作業をおろそかにし、また指示された残業もほとんどしなかったので、前述のごとき出勤状態と相まって、所属職場の業務全般に支障をもたらしたが、このことについては後述する。)

二、職務専念義務違反

(一) 労働者は、労働時間中、労働契約に基づいて義務づけられた労務の給付に専念すべく(職務専念義務)、みだりにその義務と背反する行為(業務外の行為)を行なってはならない。

(二) 職場離脱等

(1) 原告は、昭和四八年頃から業務上の必要がないのにしばしば自己の職場を離れ、他人の職場に赴いて話し込んだり、自己の作業をやめて他人と話し込むようになった。その詳細はつぎのとおりである。

(イ) NC班配属当時

昭和四八年に入ってから、原告は職場を離れて関良平のところに行き、話し込むようになったが、その回数はしだいに多くなり、ほとんど毎日、一回以上、短くて五分ないし一〇分間、長いときは三〇分ないし一時間も話をしていた。

(ロ) ラム課配属当時

(a) 昭和四八年一二月二一日、久保田、吉沢と会話、約二〇分

(b) 同年一二月二四日、西巻、篠田(松)と会話、約二〇分

(c) 同四九年三月一三日、久保田と会話、約三〇分

(d) 同年三月一五日、ポンプ工場関良平の職場に赴き会話、第一回約三〇分、第二回約一時間

そのほか、原告が無断で長時間にわたり職場を離れていたことは、たとえば、近藤次長が原告に用事があったが、原告の所在が不明なため、塚田班長が、放送設備で呼び出したことがあること、原告が送りをかけたまま職場を離れたため、センター(乙第五一号証第二図〈3〉)の油が切れビビレが生じたので、塚田班長が岡村に命じて、機械を止めさせたことなどから実証される。

(ハ) 検査係配属当時

(a) 昭和四九年四月四日 ポンプ工場関良平の職場に赴き会話 第一回約三〇分、第二回約一時間

(b) 〃四月一二日 同右関良平の職場で会話 約一〇分

(c) 〃四月一八日 同右 約五分

(d) 〃四月二五日 同右 第一回約二〇分、第二回約一〇分

(e) 〃五月二四日 同右 約一五分

(f) 〃五月三〇日 同右 約一〇分

(2) 近藤製造部部長(当時は次長)が職場離脱を記録して置くように指示したのは、原告の職場離脱等の回数が多く目に余るようになったからであり、どこの会社でもよほどのことでないとこのような指示をしないのであるから、このことからだけでもその頻度がいかに著しかったかは、十分推認しうるところである。

(3) 原告が話をしていた関良平はボール盤で旋盤を、西巻は第四工場で研削を、それぞれ担当しており、久保田、吉沢、篠田も、原告と仕事上の話をするような業務上の関連を持っていない。

(4) 原告は、職場を離れたのは、工具を他の場所に取りに行くとか、工具を研磨する等という業務上の必要に基づくものであると主張する。そのようなことが皆無であったとまではいわないが、右主張は全く誤りである。

(イ) NC班配属の場合

原告が使用していた三D―MTマシニングセンターは主として孔をあける機械であって、これに使用する工具は、ドリル(孔を剔りあける刃物)タップ(溝を切る刃物)を主とする(これらの工具は、乙第六九号証の二〈6〉ターレットヘッドに装着される)。使用する必要な工具はほとんど備えつけられていて(工具は機械に付属する工具箱に格納されている)、原告が関良平のところへ工具を借りに行くことがあるとしても、前記のごとく頻繁に借りに行く必要は全くなかったのであり、また関良平は近くにいた(乙第六八号証の〈10〉の位置)のであるから、その時間はきわめて短時間ですむのである。

かりに、原告が仕事のことで関良平と連絡をとる必要があるとするならば、原告はまず直属の上司である田中班長に申し出、同班長から関良平の直属の上司である野沢班長に連絡をするという手順をふむことになっているのであるが、原告がそのような手順をふんで関良平のところへ行ったことはなかった。

また工具を研磨するために機械の傍を離れることがあったとしても、研磨のためには、二、三分間あればたりるのである。

(ロ) ラム課配属の場合

原告が使用していたのは、カズヌープ七二五型旋盤(通称七二五)であるが、これに使用する工具類は、ほとんどすべてをそろえて機械の後方にある工具箱に格納されている。

ゲージ(測定器)も通常使用するものは、持ってきていた。

もっとも、ドリルは、第四工場に通ずる廊下(乙第五一号証第一図右側の廊下)の出入口付近の棚に、バイトやゲージは工務台の右隣の集中研磨室や旋盤特殊班にも置かれていたが、それは常時使用するものではなく、そこへ工具を取りに行く頻度はきわめて少いし、またそのために要する時間は短くてすむ。そして、もし工具をとりに行くのであれば、原則として機械の送りを止め、かつ塚田班長に断わって行くのであるが、原告は、塚田班長に断りもしないで長時間職場を離れていたのである。

(ハ) 検査係配属の場合

検査係は、加工品の受入検査、製品検査を行なうほか、測定具、ゲージ類の保守管理をその担当業務としている。

そのため、検査係には、すべての製品、加工品について最も精確な図面と製品・加工品を検査するに必要な測定具、ゲージ類(それは製造部で使用しているものよりも精緻なものである)を完備している(これはいずれの業者の場合も同様であって、公知の事実である)。したがって、原告がゲージ類を製造部から借りるということは全くありえないことである。

また検査した加工品(外注品)は、製造部の従業員が検査係まで取りにきて、製造部まで運搬しているのであって、原告がこれに関与することはない。

(5) いうまでもなく、会社はその生産が円滑かつ効率的に行われるように、工具類を整備し、とくに常時使用するものはたえず補給して、工具箱に常備し、いちいちこれを他に取りに行かなくてもよいようにしているのである。したがって担当する機械の傍を離れて工具類を取りに行くとしても、その回数はきわめて少く、また取りに行く工具は担当機械からあまり離れていない所定場所に置いてあり、取りに行くために要する時間は、二、三分ですむのである。このような離席であれば、とくに目立つことはない。原告の場合は、工具を取りに行くとか、工具を研磨するために担当機械の傍を離れたということもあろうが、前述のごとき頻度、時間、行先に徴すれば、その大部分は、業務を放棄または懈怠しての職場離脱といわざるをえない。さればこそ、上司が原告に対し、再三注意を与え、また職場離脱をチェックするようになったのである。

(三) ビラ等の原稿書き

原告は、昭和四八年に入ってから、勤務時間中にビラ等の原稿書きを頻繁に行なっており、会社が記録したところ、昭和四八年八月から昭和四九年三月までに合計九七回に及んでいる。

(1) NC班配属当時

原告は、同人が担当している機械(乙第六八号証〈5〉〈6〉の機械)の送りをかけた後などに、その機械のそばにある小さな机で、わら半紙か原稿用紙のようなものに文章を書いていることがしばしばあった。

原告は、その机でNC機に使用するプログラムの作成をしたり、届出用紙に記入したりしていたという。しかしながら、プログラムは、所定の用紙に数字とアルファベットを用い、タイプライターのある机(前記〈5〉〈6〉のそばにある机ではない)のところでこれを作成する。しかるに原告が書いていた用紙は、プログラムに使うものではないし、字も数字やアルファベットと全然似つかないものであった。また届出用紙は班長の席のところにあり(原告もこれは認めている)同所で記入するのが通常であるのみならず原告のようにしばしば、時間をかけて記入することはありえない。

そして、近藤次長の席の前には女子従業員の席があったが、原告は、時々その女子従業員のところへメモ用紙をもらってきて、これをガリに切ってくれとたのみ、その後にビラが出るという実情にあった。

(2) ラム課配属当時

原告は毎日のように道具箱(工具箱)を机にして(機械に背を向けて)、鉛筆でわら半紙に書いていた。塚田班長または渡辺係長がそのことをメモして、近藤次長に報告したものは、乙第一六号証(ただし、八月一六日、九月一二日は公休日であり、一一月二七日は原告が有給休暇をとった日であるので、いずれかの段階で誤記があったものと思われる)記載のとおりである。

原告は同人が担当していた七二五は慣れない機械であるので、メモを綴じたものを機械に吊しておき、これに機械操作上必要な事項を記載したり、計算していたという。

しかし、原告は、NC班に配属される以前に、この種の機械を操作したことがあり、そうでなくともまたNC機と比べても、バイトの形状、切込み、切削速度等の条件は変らず、加うるに七二五の機械の本体には、見やすい所に周速早見表が表示されており(乙第九〇号証の一~四)、これによって操作すればよいのであるから、渡してある図面さえ見れば、いちいち計算する必要はなく、作業ができるのである。

そして、近藤次長が見ていると、原告は機械に背をむけ、後向きになって何か書いており、その日午後から外出したり、翌日午前中突然休み、ビラを小脇にかかえてくるようなことがあった。昭和四九年一月下旬近藤次長が原告に対し、今書いているのはビラの原稿ではないかと注意したところ、原告は薄笑いを浮かべてうなずいていた。

(四) 私用電話の使用料の無申告・不払い

原告は、会社内にある電話を左のとおり私用で使ったが、その申告をせず、その使用料を支払わなかった。

昭和四九年四月二日、三日、六日、七日、一三日、一七日、同年五月八日

(五) 無断外出

原告は、昭和四九年三月一日、無断で外出して職場を離脱した。

三、誠実義務違反

(一) 労働者は、労働契約や使用者の指示・命令によって定められた債務の本旨に従い、使用者のために誠実に労働すべき義務がある。使用者は、労働者に対して指示・命令を発し、これによって労働者の就労義務が具体的に決定し、労働者がこれを遵守して労働することにより、経営秩序が保たれ、業務が正常かつ円滑に運営されることとなる。したがって労働者が指示・命令を遵守することが、誠実義務の最小限の内容をなす。

このようにして、労働者は、労働契約や指示・命令によって決まった義務を誠実に履行すべきものであるから、その義務を怠ること(債務の不履行もしくは不完全履行)が誠実義務に違反することはいうまでもないが、労働者は、使用者に損害を与えないように行動すべきであるから、注意義務を怠って使用者に損害を与えることも、誠実義務違反となる。

(二) 残業指示に応じなかったこと

(1) 前記一の(六)で述べたように、班長は週間日程表(乙第五三号証)を作成して、班員に示し、その週間に行なうべき作業を指示し、これによって、各従業員の当該週間における労働義務の内容が具体的に確定する。そしてその作業に要する時間(これを「工数」という)が、会社の所定労働時間(一日八時間。ただし土曜日は四時間。一週四四時間)を超えるときは、時間外労働を指示・命令したことになる。たとえば、昭和四八年九月二四日から同月二九日までの週で、原告に指示した作業の工数は四八時間四〇分であるから(乙第五三号証、第八七号証の一、二)、会社は、原告に時間外労働を命じたということができる。

(2) 原告がラム課および検査係に所属していた当時、会社と組合とのあいだには、労基法三六条所定の時間外労働に関する協定が締結されており(乙第八八号証)、かつ会社・組合間の労働協約には「業務の都合で第一〇条の規定に拘らず、会社・組合協議の上、時間外勤務又は休日勤務をさせることがある」(第一五条)と定められている。そうしてみれば、原告は、指示・命令された時間外労働をなすべき義務(ただし、正当な理由があれば、拒むことができる)がある。

一般に、いわゆる終身雇用型の労働契約を中心とするわが国の労使関係にあっては、その企業で恒常的な業務量を最も効率的に処理するのに必要にしてかつ十分な人員(基幹要員)と、いわゆる終身雇用型の労働契約を締結する。そして、業務量が一時的に増加した場合には、臨時雇の労働者を採用するか、または、既存の従業員に時間外労働もしくは休日労働をさせて、その業務量の消化を図るというのが実態である。

会社においては業務量が一時的に増加した場合には、労働時間の延長によってこれを消化していた。というのは、業務量が増加したとしても、注文には波があるので人手を増やすということは適当ではなく(注文が減少したとき人手を減らすことは容易ではない)、また熟練工を雇い入れることは当時の状況としては不可能だったからである。

このような実態のなかで、時間外労働を指示・命令された従業員が時間外労働をしなかったとすれば、会社は計画し、予定した生産を達成しえないのであるから、正当な理由なくして時間外労働をしないことは、業務命令拒否になると解されるか、少くとも誠実に勤務すべき義務に違反すると解されるのである。

(3) 原告は、ラム課に配属されていた昭和四八年八月一日から翌四九年三月二〇日までに行なった時間外労働は僅か九時間四五分にすぎない。ちなみにこの期間内に原告の所属する大型旋盤班の班員が行なった時間外労働は、乙第八六号証記載のとおりである。

当時、会社の受注量は平常より増えており、同班の作業量も右の程度の時間外労働を必要とするほど増加していた。しかるに、原告は、上司から時間外労働を要請・指示されたにもかかわらず、たいした理由もないのに時間外労働をしなかったのである。

もっとも、原告の直属の上司である塚田班長は、原告が時間外労働をしないで退社しようとするのに対し、いちいち仕事の必要性を述べて強く時間外労働を要求しなかったには相違ない。しかし、入社して一〇年の経験を持ち、過去においても残業をしてきた原告(このことは、原告の認めるところである)であるから、七二五機の月間加工品の表(乙第五四号証)、週間工程表(乙第五三号証)を見れば、上司からいわれるまでもなく時間外労働の必要性は十分判るのであって、このような実態のなかで、塚田班長が職場でのトラブルを避けるため、そのつど時間外労働を強く要求・指示しなかったことも諒とされなければなるまい。

原告は、時間外労働についても上司からやかましくいわれないのをいいことにして、班長や他の班員が時間外労働をしてでも指示された作業を完成させているのに、ただひとり時間外労働をせず、したがって、指示された作業を予定どおり完成させなかったのである。

(三) 加工ミス

(1) 原告は、ラム課配属当時、その不注意によって、少くともつぎのような加工ミスをおかしている。

(イ) 昭和四八年一一月一二日頃、原告は焼入加工を終えたSR―一二〇六(三〇〇トン×一、〇〇〇ミリ押引ラム=特注品)スピンドルの摺動部(乙第六七号証の右端にあるネジの部分の左側にある本体の右端の部分)を誤って規定以上に切削してしまった。

すなわち、原告は素材(加工物)を旋盤に載せ、送りをかけたのであるが、摺動部の端(乙第六七号証に記載した方向から見ればねじ部を除いた右端)から切削を開始し、同箇所から約五〇ミリメートル切削した箇所から刃物が規定以上に素材に喰い込み始め、約一五ミリメートル進行する間に、規定を超え深さ約五ミリメートルまで切削したとき、その喰込みに気付いて送りをとめた。

このときの鋼材の回転数は毎秒八〇ないし一〇〇回転、送りの速度は一回転につき〇・二ないし〇・三ミリメートルである。したがって、刃物が規定以上に喰い込み始めてから、一五ミリメートル進んで、五ミリメートルの深さに切削するまでの時間は約一分間である。

このような加工ミスを生じたのは、バイト(刃物)の取付けが不完全であったためにそれがゆるみ、切削抵抗が逆にかかり、バイトがゆるんで喰い込んでいったことにゆらいする。すなわち、この加工ミスは、第一に、原告がバイトを刃物台にしっかり締めつけず、かつその点検(作業前の点検)をおろそかにしたという過失にゆらいするものである。第二に、右のごとき過失があったとしても、原告が切削状態を監視していたならば、右のごとき削り過ぎにはいたらなかったものである。なぜならば、前記のように規定以上に切削しはじめると、切削の音が変り、原告のごとき経験者であれば、その音を聴きわけることができ、また切粉の幅も正常の切削時よりもひろくなる。したがって、切削状況に注意を払っていれば、何秒もたたないうちに、切削の異常に気がつくはずであり、その際運転を停止すれば、右のような削り過ぎにはならなかったのである。

このような加工ミスがあったので、川上次長は右のスピンドルが使用に耐えうるか否かを技術課に検討させたところ、強度的には大丈夫であろうとの回答を得たので、次工程の蝋盛、高周波焼入に回した。そして、注文主と交渉したが、注文主は、仕様を満足していないという理由で受取りを拒否した。ところで新規に同じ製品を作るためには、材料の入手が困難な事情もあって、三、四ケ月かかるので、契約は破棄された。この製品の価格は、五〇六、〇〇〇円である。その頃営業部門から、特注品は原告にやらせないでくれとの苦情も出た。

(ロ) 同年一一月二二日、原告は、自工場で熱処理完了後外注工場で蝋盛加工を終えたSR一三〇四スピンドルの蝋盛加工物を誤って規定以上に切削した。

原告が加工ミスをしたので、再蝋盛をし、これに伴う再加工をしたが、これに要した費用は合計四七、七五〇円相当である。

(ハ) 昭和四九年二月二〇日、原告は、外注工場で蝋盛加工をしたDR―一〇―八―七五〇スピンドルの蝋盛部を誤って規定以上に切削した。

この加工ミスを補正するために要した費用は合計五〇、二五〇円相当である。

(ニ) 同年一月二二日、原告は、DR―五〇―三―二八二シリンダーの内側を誤って規定以上に切削し、さらに、外注加工業者が一月二五日右の切削部を蝋盛加工して会社に納入したところ、同年二月五日、原告は右蝋盛部を再加工中、誤って規定以上に切削した。

一月二二日の加工ミスがあったので、技術管理課で検討の結果、その箇所に蝋盛りをし(その費用は、一一、三五〇円)、二月五日の加工ミスの結果、相手部品と現物合せをするため再加工した(その費用は、七〇、〇〇〇円相当)。

(ホ) 同年二月一四日、原告は、外注加工業者がすでに蝋盛加工を終えて在庫していたR―五四Cスピンドル二本の蝋盛部を誤って規定以上に切削した。

その加工ミスを補正するため再蝋盛をし(その費用は、八、八四〇円)、これに伴う再加工をした(その費用は三二、〇〇〇円相当)。

(2) 右(ロ)ないし(ホ)の切削(加工)ミスの原因は、(イ)とほぼ同様かまたは刃物の切削深度の設定を誤り、切削中もこれに気づかなかったものと解される。とくに(ニ)にあっては、再度加工ミスを犯し、(ホ)にあっては、二本とも加工ミスを犯しているのであるから、その不注意の度はいちじるしいといわなければならない。これらの加工ミスが、原告が送りをかけたまま機械の傍を離れたことに基因するとの確証を挙げることはできないにしても、前述のごとき加工ミスの態様からすれば、そのうちのいくつかは、原告が送りをかけたまま機械の傍を離れたことに基因すると推認しても、経験則に反するとはいえないであろう。

それはともかくとしても、原告の犯した加工ミスは、その頻度からみてもその内容からみても、誠実義務違反の程度が強いといわざるをえない。

(3) もとより加工ミスをしたのは原告だけといっているのではない。と同時に原告の加工ミスも右に例示したものに尽きるわけではない。右に例示したのは、加工ミスのためにその素材が使物にならなくなったとか、加工ミスを補正して使えるようにするために再蝋盛その他の措置を講じなければならず、そのために会社が無駄な経費を支出するなど、経済的損害をこうむったケースである。このようなケースを原告と同種の作業をしていた者についてみると(原告がラム課に在籍していたのは約八ケ月であるから、同じ長さの期間をとった)、

(イ) 原告の前任者阿部敏明は、昭和四七年一二月一日より翌四八年七月三一日までの間にSR―九七九スピンドルを規定以上に切削したという加工ミスを一回おかしたにすぎない(蝋盛修理代二、〇〇〇円)。

(ロ) 原告の後任者関三郎は、昭和四九年三月二二日より同年一一月二〇日までの間に、同種の加工ミスは一回もおかしていない。

(4) 原告は、加工品の納入書を見ただけでは、原告が加工ミスを犯したかどうかわからないというが、当時原告の上司である渡辺係長が所持していた資料により原告の加工ミスをチェックし、これを乙第五五ないし第五九号証によって裏づけたものにほかならないのであるから、原告の主張は的はずれである。

(四) その他

原告は検査係に配属されてからは、外注加工品の受入検査を行なっていたが、仕事の手を休めてボヤッとしている時間が非常に多く、前述のごとき職場離脱もあったため、外注加工品の受入検査が渋滞し、やむなく製造現場の係長、班長らが自ら検査をして、製造現場へ持って行くということもあった。

四、会社業務に対する障害

(一) 原告は、これまで述べたように、就労義務、職務専念義務および誠実義務に違反してその勤務をおろそかにし、会社が指示・命令した業務を完全に遂行せず、そのため、会社の業務に対しつぎのような障害を与えた。

(1) 会社は製品を受注するに際し、発注者と納期を約定し、管理部技術管理課に製造依頼する。同管理係はこれに基づき、製造部各係等に対し製造手配をする。そうすると、ラム機械係では、在庫品を考えて納期までに製造しうるよう生産計画―週間作業日程表を作成して、従業員に業務の指示・命令をする。昭和四八年以降の受注量はかなり多く、原則として水曜日を除いては、毎日時間外労働をして、計画した生産を達成することとしていた。

このような生産態勢のなかで、原告は、すでに述べたとおり指示・命令に従って誠実に勤務しなかった。したがって、原告自身に割り当てられた仕事が予定どおり完了しなかったばかりでなく、他の従業員の仕事の完成、ひいては会社が予定し、計画した業務の達成も遅らせるか少くとも他の従業員の仕事の負担を増大させることとなった。

すなわち、会社は、従業員の出勤率を九五%位と見て、納期に間に合うようにたとえばラム機械係大型旋盤班ではL1加工(荒削り)→焼入加工→L2加工(旋盤としての仕上げ)→外注加工等の製作工程の日程を定め、これが終ると他の職場へ製品を回すのであって、ここでつぎの工程が進行することとなる。それであるから、原告に割り当てられた作業が遅れると、これに続く他の従業員の工程が遅れ、そのため穴があいた時間には、急遽他の作業をさせるというような非効率的な運用をしなければならなくなる。そうでなければ原告の遅れた仕事を他の従業員が残業をしてでもしなければならないのであって、その結果、その従業員に負担をかけることとなる。要するに班全体の仕事が遅れるか、班長や他の班員の残業を多くするという結果になるのである。乙第八六号証で明らかなように、塚田班長や原告が操作していた機械と同種の七二五旋盤を操作していた岡村和明の残業時間が多いというのは、右に述べた理由に基づくと解してよい。

まして、加工ミスのため同じ工程を二度くりかえして行なうことになれば、それだけ製作効率が低下することはいうまでもない。

(2) 検査係における業務運営上の障害については、三の(四)で述べたとおりである。

(二) 一ないし三で述べた原告の勤務態度に対しては、近藤次長、川上次長、田中班長、塚田班長、渡辺係長らが再三注意しているにもかかわらず、原告は、その態度を改めなかった。その主なものを左に列挙する。

(1) 田中班長。昭和四八年になってから四、五回は職場を長時間離れていることに注意したが反応もなかった。

(2) 塚田班長。早退、半休の届出の仕方や自動車学校へ行くことについて何回か注意した。残業をしてもらいたいと要請した。職場離脱については、班会議で注意した。

(3) 近藤次長。昭和四八年一一月以降三・四回、送りをかけて原稿書きをすること、および職場を離れることについて注意した。

(4) 川上次長。昭和四九年三月二二日頃、同年五月一〇日、勤務状態とくに職場離脱・残業協力について注意した。

五、信頼関係が断たれたこと

(一) 企業は物的組織体であるとともに人的組織体であり、人の調和があり統一のとれた協同によって、企業の生産的機能を発揮することができる。その人的組織体を形成するものは、ひとびとの相互の信頼であり、その信頼関係を基礎として、労使関係が成り立つ。労働関係が一つの人格関係たる性質を持つというのは、このことにゆらいする。とくに、いわゆる終身雇用型といわれ、労働関係の永続が期待される労働契約、そのなかでも被告会社のごとき規模の企業で人の結びつきが緊密な場合には、信頼関係の維持が企業運営の重要な要因をなす。したがって、この信頼関係に背き、またはこれを害する行為は、労働契約の本旨に反するとの評価を受ける。

(二) 会社の従業員、とくに係長・班長らは、会社または職場の行事として、会合を持つことがあるが、原告は、これを歪曲し、会社が従業員を利益誘導して、従業員の不利益をはかるかのごとく、中傷的な宣伝をくりかえしている。

たとえば、「闘争反省会資料」として

(1) 会社で従業員の配置転換が行なわれた場合には、関係部署ごとに会費制で歓送迎会を行なうならわしになっているが、原告は、このことをとらえ、「製造部班長以上『いせ善』で飲む。参加者一六名。労使協調路線の確立のため。」「管理部顔合せ。食堂で飲む。」と述べ、

(2) 会社が創立以来恒例として毎年行なっている「ふいご祭」をとらえ、「組合三役及び現場の係長以上他関係者を呼んで会社が主催し、飲む行事。毎年一時金闘争時に行なわれる労務対策の一つとしてみて良い」と述べ、

(3) 昭和三七年一一月一一日の罹災以降毎年一一月一一日に行事として自衛消防隊による防火訓練を実施し、その終了後、懇親会を開催しているのをとらえ、「防火隊四〇名、班長以上が圧倒的に多いが、『喜楽亭』で飲む」

と述べ

た文章を配布して、これらが闘争上反省すべき利益誘導であるかのごとく、宣伝している。

このような行動は、会社―係長・班長―一般従業員の間の離間を策したものか、少くともそれらの者の間に相互の不信感を醸成し、相互の信頼ないし協同関係を害するものである。

(三) 原告に対する信頼関係が断たれたことは、昭和四八年八月以降の配置転換に現われている。

(1) NC班からラム課へ

会社は昭和四四年一一月NC旋盤三台を購入、翌四五年にはマシニングセンター、フライス盤、各一台を購入し、NC班を編成して田中班長以下四名(原告を含む)でこれを操作していた。昭和四六年頃からは業務量が多く、四名の者が月・火・木・金曜日にそれぞれ二名ずつ交替で四時間の残業をしていた。

ところで昭和四八年四月と五月にマシニングセンター各一台、同年七月に旋盤一台がNC班に配置された。そこで会社はこれらのNC機械を有効に使用し、かつ残業を少くするため、NC班を三名増員(汎用旋盤、研磨、特殊機械の各班から各一名)し、高木係長もNC機を操作することとし、合計八名(乙第六一号証記載の七名ほか大塚春夫が午前中勤務する)により、当面(三ケ月位)変則二交替制(一つの組は午前八時一〇分から午後五時まで、他の組は午後一時から午後九時三〇分まで勤務する)をとることを企図し、同年六月労使協議会において、組合と協議を開始した。同年七月上旬、組合は交替勤務手当の支給を条件として右二交替制を認める方向に向っていた。ところが原告は、二交替制は労働強化につながるとして強硬に反対する態度を堅持していた。原告が反対したのは、以前の毎週二日二名の四時間残業と比較して、右二交替制が合理的であるか否かということによるものではなくして、残業も二交替制のいずれにも反対するというものであった。

当時、会社としては、NC班の業務を処理するために右以上の人員を増やすことはできなかったので、前記毎週二日二名の四時間残業か二交替制のいずれかを採らざるをえなかったのである。それにも拘らず、原告がNC班の仕事が忙しいことを知っていながら、そのいずれにも反対する態度を変えなかったので、同人をNC班にそのまま置いたのでは同班の作業が円滑に行なわれなくなると考え、同人をラム課へ配置転換した。

(2) ラム課から検査係へ

ラム課における原告の勤務状態ないし勤務態度はすでに述べたとおりであり、そのために大型旋盤班の業務の遂行が遅れるようになり、上司からその遅れを責められるので、塚田班長は、昭和四八年一二月、渡辺係長や近藤次長に、原告を他の職場に変えてもらいたい旨要請するにいたった。そこで近藤次長は川上次長や佐藤工場長に対し、原告を製造部に置けないので、他の職場に移してもらいたい旨の意見を述べ、結局、原告を管理部に配置転換し、川上次長が原告をもう一度教育してみることにした。

ところで、原告に検査業務を担当させるにしても、製造現場で実施する完成品検査を行なわせるときは、製造部の他の職場に赴き、その職場で働いている者の作業を阻害するおそれがあるので、昭和四八年春以降人手不足のため中止していた外注加工品の受入検査を検査係で行なうこととし、これを原告に担当させた。

(四) 要するに、原告は、自己の主張・見解だけが正しく、これに反するものはすべて誤りであるとの独断的性格をもち、自己顕示性が強く、自己の主張を通すためには企業秩序や労使間の秩序を無視してはばからず、勤務をおろそかにして会社の業務の運営を害し、仕事の面で職場の従業員に負担をかけた。これに加え、原告は、会社―係長・班長―一般従業員の間の不信感を醸成するような中傷的文書を組合組織から離れて、作成・配布したのである。

原告が行なったと主張する組合活動なるものは、右のごとく会社の経営秩序、労使間の秩序ならびに労働組合の内部秩序に反し、これらの秩序をみだすいわゆる「はねあがり」の行動にほかならない。

このために、原告は、同じ職場で勤務している上司、同僚の不信と反感を買い、それらの者が原告と協同して働く意欲を失なうにいたったことは、けだし当然のことである。

(五) 経営理念の否定

会社は、従業員の福祉を増進するとともに、会社の業績の安定と向上を期し、よって、会社の社会的使命を達成するため、労使相互の信頼関係を基盤として、「豊かな会社、豊かな社員、豊かな社会」の三位一体を実現することを、その経営理念としている。

そして、この経営理念を実現する手段として、会社は、労使間の紛争を、組合との団体交渉により、できる限り早期にかつ平和的に解決するため、誠意をもって努力するとともに(協約第六二条・第六三条)、労使関係を自主的・平和的に調整するため、労使協議会を設け、労働条件・安全衛生・福利厚生に関する事項のみならず、経営の方針に関する事項および生産計画に関する事項をも、労使の代表者において協議し(協約第三七条)、組合は、会社が経営ならびに業務運営、人事に関する最終決定権を有することを認めるとともに、会社は、企業民主化の精神を逸脱するがごとき経営権の行使をしないことを確約して(協約第一条)、その事業を行なっているのである。

しかるに、原告は、他の従業員が会社の生産に協力しているのを労使協調が不当であるかのように主張し(乙第六二号証)、すでに述べたようにその勤務をおろそかにして、同じ職場の従業員に負担をかけるなどして、その反感をかったばかりでなく、係長・班長らを中傷し、これらの者と従業員の離間を策した。かりに、離間を策したとはいえないまでも、従業員の反感を招き、上司および同僚との信頼関係ないし協同関係を害する結果を招来したのである。

第三、懲戒解雇条項の適用

以上の原告の労働契約違反の行為は、就業規則第七九条に定める懲戒解雇事由の左の各号に該当する。

(一)  労働時間中に業務外の行為をし、また、職場を離れること。

(1) 職場の秩序を紊そうとしたとき(第三号)

(2) 業務に怠慢で改悛の見込みのないとき(第九号)

(3) 他人の業務を妨害したとき(第二号)

(二)  指示された作業(残業を必要とする作業)を完遂しないこと。

(1) 職務上の指示・命令に従わないこと(第三号)

(2) 業務に怠慢で改悛の見込みのないとき(第九号)

(三)  理由なくしばしば遅刻・早退・外出・半日休暇したこと。

(1) 業務に怠慢で改悛の見込みのないとき(第九号)

(2) 前条各号の行為の情状が特に重いとき(第一〇号、第七八条第二号)

(四)  信頼関係を害する行為

(1) その他前各号に準じた行為をなしたとき(第一一号。第三号、第九号に準ずる)

第四、懲戒解雇に至るまでの経緯

一、賞罰委員会の開催

会社は、原告が懲戒解雇に値すると判断したので、労働協約第六九条の定めるところに従い、賞罰委員会(以下委員会という)を開催した。会社側委員は西川敏郎、佐藤太、川上京造、近藤満寿男、組合側委員は伊佐忠久、佐藤徳治、新保勲、久保田利章であり、委員会は、六月一七日、一八日、二四日、および七月五日に開催された。

二、処分理由の提示と審議

(一) 会社が懲戒解雇にあたると判断した事由は、すでに詳述した〈1〉就労義務違反、〈2〉職務専念義務違反、〈3〉誠実義務違反、〈4〉「理研青年部ビラ係」名義のビラにより会社の秩序をみだしたり、いわれなき中傷をして会社および従業員間の不信感を醸成するような行動をしたこと、および〈5〉経営理念を否定したことである。

このうち、〈1〉ないし〈3〉は、原告の行動に現われたものであって、口頭で説明しても理解してもらえることであったが、〈4〉については、そのビラが原告が組合の統制下で作成したか否かが問題となり、またそのビラのいかなる点が懲戒事由にあたるかということは、口頭の説明だけでは組合側委員に十分理解してもらうことが難しかった。

(二) そこで会社は、六月一七日の委員会で、組合に対し、ビラは原告が組合の統制下で作成したものであるか否かをただしたところ、組合から、ビラは原告が組合の統制下で作成したものではないとの回答を得たので、これを懲戒事由の一つとして採り上げることとした。

(三) そして、会社は、六月一八日の委員会で、原告を委員会に付議した理由をとくにビラに関連して説明し、かつ「ビラの内容」と「原告の行動」について述べた。

(四) さらに六月二四日には、会社は問題となるビラを指摘したが、「更に基本的には」口頭によって説明した就業規則違反、労働協約違反、経営理念に反する行為が懲戒事由の中心をなしていることを明らかにした。

なお、会社が乙第一八号証掲記のうち問題としたのは、

(1) 昭和四八年一〇月三〇日付の「査定の目的は労働者の分断的支配である」との記事(会社は、組合との協定により公正に査定を行なっている)

(2) 同年一二月一〇日付の前記第二の五の(二)に掲げた記事

(3) 昭和四九年四月二一日付の「生産を労働者の手で管理する」ことを煽動した記事(生産管理は非合法である)

である。

(五) 以上の処分理由について、委員会は慎重に審議した結果、六月二四日の委員会では、原告に退職を勧告する以外にはなく、これに対して原告が反省しないときは、つぎの手段(解雇)を講じなければならないとの結論に達した。

(六) 委員会はその旨を社長に答申したところ、社長はこれを承認した。しかし、七月五日、委員会は、解雇ともなれば原告の将来にもひびくので、反省の機会を与えるため、解雇をする前に三ケ月間休職を命じ、その間に反省して非を改めるならば、そのときは解雇をしないで復職させるが、そうでなければ解雇するという趣旨で、原告を三ケ月の休職とするとの提案をし、委員会はこれを承認した(同日の委員会で、原告の就業規則違反が中心で、ビラは付帯的問題であることを確認している)。

三、第一次休職処分

(一) 会社は、右委員会の答申に基づき、七月六日、原告に対し、七月八日から三ケ月間休職とする旨を通告した。右休職期間中、会社は原告に対し、賃金の一〇〇分の六〇を支給することとした。会社が原告を右期間中就労させなかったのは、原告に前記のごとき解雇理由があり、しかも原告を就労させるときは、会社の秩序が紊されるおそれがあったからであって、これは会社としてなしうる当然の措置である。

(二) 一般に休職は、雇用中の労働者に、就労を継続することができないか、または就労を継続させるのを不適当とする事情(以下「就労不適当事由」という。)が発生したと認められる場合に、雇用関係そのものは維持しつつ、労働者の就労義務を免除するという制度である。

ところで、雇用中の労働者に就労不適当事由が発生したときは、それが使用者の責に帰すべき事由に基づくものでない限り、使用者は賃金支払義務を免れ(民法五三六条二項)、それが労働者の責に帰すべき事由に基づくものであるときは、使用者は、即時解雇をすることができるし、その他雇用の継続を期待し難いとき(就労不適当事由が労働者の責に帰すべからざる事由に基づく場合も含む)は、予告解雇をすることができるのである。そして、就労不適当事由が一定期間継続したときに、雇用関係の継続を期待し難いと認められる場合(たとえば病気による欠勤)には、休職後就労不適格事由が消滅することなく、一定の期間を経過したときに、雇用契約終了の効果を発生させることとなるであろうし、また就労不適格事由が、たとえば労働者に経営秩序の紊乱もしくは業務阻害その他労使間の信頼関係を害する行為があるなど、即時解雇または予告解雇の事由にあたる場合においても(この場合にはその労働者を就労させることが不適当であることはいうまでもない)、その後の労働者の態度(とくに反省し、将来にわたって誠実に勤務するであろうことが確実と認められる態度)によっては雇用関係を継続しうる可能性が回復されることもありうると考えるときは、直ちに解雇することなく、休職としてその可能性の回復をまち、その回復を期待しえないと判断したときに解雇するということもありうる。すなわち、右に述べたように、〈1〉休職の理由たる就労不適当事由が同時に即時解雇または予告解雇の理由にあたることがあるが、〈2〉休職制度と解雇とは、ほんらいその目的・要件・効果を異にするものであるから、〈3〉この場合、使用者は、直ちに即時解雇または予告解雇をすることもできるし、休職とすることもできるのである(東京地裁、昭和四六年八月一六日判決、労民集、二二巻四号七七七頁)。

そして、右の場合、実務上の運用としては、直ちに即時解雇または予告解雇をすることなく、一定期間休職を命じ、前記のごとく雇用関係継続の可能性の回復をまつということも、しばしば行なわれることである。

会社が原告に対し、昭和四九年七月六日三ケ月間の休職を命じたのは、右に述べたような実務上の運用に則ったものにほかならない。

この休職は、前記のごとく、労働協約第四九条第六号に基づくものである。

四、その後の経過

(一) 原告は、七月一九日、当庁に対し右休職処分が不当であるとして地位保全の仮処分申請をなし、同月二六日、右申請を容れた仮処分決定がなされ、これに対し会社は異議申立をした。

その後九月上旬、地区労の役員等が会社に対し、原告を復職させるという方向で和解をしてもらえないかという話をもってきたので、会社は、事情を詳しく説明し解雇事由として列挙したようなことについて原告が非を悔い、誠実に勤務するというならば復職させてもよいが、ともかく組合を通して話をしてもらいたいと答えた。

(二) その後、地区労役員等の回答もないまま休職期間が満了する時期を迎えることになったので、一〇月七日、会社は委員会を開催し、原告のこんごの取扱いについて検討した結果、前記のごとき和解の話もあるので原告にその非を改めるよう誓約を求めるが、これに応じない場合でも、さらに反省する機会を与えるため、さらに一ケ月休職させるということになった。

(三) そこで会社は、一〇月八日、賞罰委員会を開催し、原告を委員会の席に呼び、会社が原案を作成した誓約書(乙第一九号証)を示し、労働協約前文に表現されている経営理念を説明して署名を求めたが、原告はこれを拒否した。ここにおいて会社は、原告に対し、一〇月八日からさらに一ケ月休職させる旨を告知した。この第二次の休職の趣旨も第一次休職のそれと同じであったが、第二次休職中は無給とした。

(四) その後、一〇月末頃、原告の代理人大塚弁護士より、前記(一)と同旨の和解の話があったので、会社は、右(一)で述べたとの同旨の回答をなし、その結果裁判所で和解の話を進めることとなった。

裁判所ではつぎのごとく進行した。

(1) 一一月二日、乙第一九号証の二項に記載されている事項は係争中の問題であるから省いたらどうかとの勧告があり、会社は次回までに検討するということでその日は終った。

(2) 一一月一三日が次の和解期日であったが、一一月二日以降、原告および同人と意を通じた「守る会」は「和解の幻想を撃て」などと書いたビラを配布したり、会社に抗議の葉書を送付するなどして、和解の精神に反する行動をとったので、会社は、一一月二日以前の状態に戻さなければ和解に応じられないと主張し、大塚弁護士はこのことを検討するということで終った。

(3) 次回の一一月二〇日の期日には、原告は一一月二日以降のことについて謝罪できないが、大塚弁護士が代って一筆書くとの提案があったが、会社は態度を留保した。

(4) 一一月二八日、裁判所から原告側の解決案が示されたが、それはきわめて抽象的な表現であり、会社は、従前の経緯からみて、この案を受諾しても原告が一一月二日以降の行動や解雇事由として挙示したごとき行動をやめて誠実に勤務するであろうとは考えられなかったので、会社は右提案を受諾することを拒み、和解は不調に終った。

五、解雇

(一) 懲戒解雇

会社は、翌一一月二九日、委員会を開催し、原告の最終的な意思確認を行なうため、乙第二一号証の詫状を提示して署名を求めたが、原告はこれを拒否した。このこととこれまでの経緯からして、原告が前述の解雇事由にあたる行為について反省する意思のないことがはっきりしたので、会社は、委員会の決議に基づき、七月五日に会社が決定したとおり、一一月二九日、原告を懲戒解雇した。

(二) 予告解雇の主張

(1) 会社は、昭和四九年一一月二九日、原告に対し、懲戒解雇の意思表示をしたが、それは、原告が、第二に記載したごとく、誠実に労働義務を履行せず、また、信頼関係を害する行動をなし、原告は、会社の従業員として不適格であるのみならず、会社の企業秩序をみだし、業務を阻害したと判断したからにほかならない。ところで、原告が会社の従業員として不適格であるということは、解雇を正当づける事由の一つである。したがって、右懲戒解雇の意思表示が無効であるとしても、予告解雇としては、就業規則第六三条第二号(不都合の行為があったとき)に該当するものとして有効である。

(2) かりに、右予告解雇の効力が認められないとしても、被告会社は、昭和五二年九月一四日、原告に対し、予備的に三〇日の予告をもって解雇する旨の意思表示をした。

(被告の主張に対する原告の答弁)

被告の主張第一の事実、同第二の一の(二)の(3)の半日休暇の事実はいずれも認めるが、その余の被告主張の事実はすべて争う。

(被告の主張に対する原告の反論)

一、第二の一(就労義務違反)の主張に対して。

(一)  原告の遅刻・早退・休暇はすべて届出られているうえ、その殆んどが事前に届出られており、すべて有給休暇として処理されている。このような有給休暇の取得がなぜ処分の理由になるのか甚だ理解に苦しむところである。

(二)  被告の主張は、要するに、自動車の運転免許をとるために教習所へ行くという理由で年休をとるのは年休制度の本来の趣旨に反するものであるというのである。

しかしながら、労働者が年休をとり、それをどう利用するかは本来全く自由であり、また国鉄郡山工場賃金カット事件の最高裁昭和四八年三月二日判決が「年次有給休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由である、とするのが法の趣旨であると解するのが相当である」と判示して以来、そのように考えるのが判例の大勢となっている。被告の主張は右通説、判例を無視する暴論以外の何物でもない。

(三)  そもそも、原告の年休請求に対し、被告は時季変更権を行使することができるのである。しかるに、被告は、一方で時季変更権を行使しないでおいて、他方で休暇のとり方が悪いと主張することは、信義則に反しているというべきである。

(四)  また、被告会社において、組合役員が早退・外出の取扱いで組合用務を行うということは常時行われ、慣行として認められていたものであり、伊佐委員長・新保書記長らにおいてもそのような取扱いがなされていた。一人原告のみが問責されるいわれはない。

二、第二の二(職務専念義務違反)の主張に対して。

(一)  職場離脱について

(1) 被告主張のうち、昭和四九年三月一三日に原告が職場にいなかったことがあることは認める。

同日は午前九時から午前一一時一五分までの間、組合の執行委員会が開かれ、原告も執行委員の一人としてこれに出席していたからであるが、右の点については、原告あるいは原告の所属する組合から、組合用務のため職場離脱する旨の届出がなされており、さらに被告会社においては右のごとき組合役員の執行委員会および団体交渉などの組合用務のための職場離脱については、これを認めるという労使慣行が存在していたのであって、右原告の職場離脱は何ら問責されるべき事実ではない。

(2) 被告が主張する「職場離脱」の日時は、昭和四九年四月以降において数多く主張されている。これは被告が原告をラム課機械班から管理課検査班に配置転換した後のことである。

被告会社小千谷工場においては、管理課検査係外注部品検査担当の業務は、外注先(殆んど被告の下請企業)から納入されてきた部品などが規格に合っているか否かを検査するものであるが、従来(原告を配置するまで)はこのような業務のみをなす従業員ないし職場は存在せず、部品を受入れる各職場でこれをなしていたのである。

被告は、原告の他の青年労働者に対する影響力を減殺し、原告を厳しい監視下におくため、ラム課大型機械班から排除し、工場内の棟屋の場所関係としても他の青年労働者の働く棟屋から離れた管理課検査係に、外注部品検査担当なるものを新たに作り、原告を配置したのである。

したがって被告の主張する無断職場離脱なるものは、その時、検査班の机にいなかったことがあったかも知れないというにとどまるのであって、通常改めて上司に届出るまでもない、手洗へ行くなどの用足し、さらに業務の一環として机を離れ、納入された部品を検査し、検査するゲージなどを納入業者のために取りに行っていた業務をしていたことを、あげつらっているにすぎないものである。

(3) 原告は業務に必要なため、自己の持場を離れて他の職場に行くことはあった。しかし、それも時間は短かく、しかも特に上司の許可を求めるまでもない取扱いであったのであり、被告が主張するように、原告が業務を放棄して無断で職場を離れ、他の者と長時間話をしていたという事実は全くない。

被告の主張は、被告が原告を会社から排除するために、職制をして原告の動静を常時看視(マーク)させていたということを逆に証明する以外の何物でもないのである。

(二)  ビラ等の原稿書きについて

原告が、就業時間中にビラの原稿書きをしたことは全くない。被告が主張するような態様でビラの原稿を書くということ自体、常識的に考えられないことである。

また原告がビラの原稿を書いているのを目撃したという証人の証言を検討すると、その実、原告が書いていたものが本当にビラの原稿であったかどうかを確認した者はただの一人もいないのであって、すべて推測かあるいはためにするものでしかない。

原告の仕事上のメモ行為あるいは届出書の作成等の行為を故意にあげつらっているとしか考えられない。

(三)  無断外出について

原告は、昭和四九年三月一日、外出したことはあるが、無届ではなく、当時の直近の上司であるラム課大型機械班班長塚田正雄に、「外出時間は確定していないので、帰ってきてから外出時間を書込みます。」旨のべて、所定の外出届用紙に時間欄のみ空欄にしてその他を記載し、これを提出したのち外出したものである。

(四)  私用電話等について

被告主張の日時に電話を私的に使用したことは不知。

なお、被告主張のうち、昭和四九年四月七日は日曜日であって、原告は出勤していないのであるからありうべきもない事実である。

三、第二の三(誠実義務違反)の主張に対して。

(一)  残業不協力について

(1) 被告の主張は、被告が昭和四八年八月二二日までに実施した残業は、被告と組合との間にいわゆる三六協定が結ばれていないのになされた違法なものであるということを全く無視した主張である。

その後に会社と組合が右三六協定を締結したが、それも原告からその違法性を指摘されたためであった。

(2) 次に、三六協定があるからといって、それから直ちに個々の労働者に残業義務が発生するものでないことは当然である。

(3) さらに、当時、被告従業員において残業をしていないのは一人原告のみではなかった。

組合青年部が当時行なったアンケート調査では、青年部員のうち約三分の一が残業をしていないという数字が出ている。

(4) そして、そもそも原告が残業をしなかったというわけではない。

NC班においては「スケジュール残業」と称し、班として月、火、木、金の週四回、そのうち班員一人は週二回の計画的残業が実施されており、原告はこの残業を計画どおりやっていた。

検査係のときは、本来残業のない職場であるが、それでも月に二、三回は割増賃金を支払われることなく残業していたのである。

ラム課のときは、ほとんど残業していないが、それは、当時原告は組合執行委員、地区労青婦部書記長、自動車教習所の受講等で特に多忙であったからである。

また、ラム課の仕事は各自の担当の機械が決っており、原告の担当のカズヌーブ七二五は、機械の状態、仕事内容からして、仕事量はさほど多くなく、残業をする程ではなかったのである。

(二)  加工ミスについて

(1) 原告に、被告が主張するような加工ミスがあったとの主張は争う。

また、仮に、右のような事実があったとしても、それはたまたま機械にゴミがたまっていれば起こるようなものであり、またこの程度の加工ミスは誰にでもあることであり、とりたてて問題にすることではない。

被告の主張は、重箱の隅をつつき、あら捜しをする以外の何物でもない。

(2) 原告に加工ミスがあったとする被告の右主張は、仮処分事件の控訴審の審理段階において新たに主張されたことである。被告が加工ミスのうち特に重大なものと主張しているのは、昭和四八年一一月頃客からキャンセルを受けた加工ミスの点についてであるが、その加工ミスの箇所について、乙第七五号証(塚田正雄の仮処分高裁における証言)では「スピンドルの頭の部分。立てた場合に頭のほうになるわけです。」(乙第六七号証の右側の端の箇所である)とのべられているのに、乙第七六号証(堀沢誠の仮処分高裁における証言)では、「ネジに近い部分なんですけれども、摺動部にバイトで切り込みを入れてしまった」(乙第六七号証のM三〇五とM二四五と書いてある中間位の辺りの上の方の箇所である)とそれぞれ証言している。右両証言によれば、加工ミスの箇所が全く違っているということは極めて重大である。すなわち、重大な加工ミスというのであれば、目撃した者によってその箇所が違うということなどあり得ようがないはずであるからである。

四、第二の五(信頼関係が断たれたこと)の主張に対して。

(一)  被告は、原告の権利行使や契約外労働に対する積極的従事のなかったことをとり上げ、これが、労働契約上の誠実義務に違反し、また、原告が組合活動として配布したビラの内容が従業員間の信頼ないし協同関係を害したという。

しかしながら有給休暇をとらないようにという被告の指示や、強引な時間外労働の押し付けを無条件に承服しないということが、誠実義務違反になる訳では決してない。仮に、他の従業員において有給休暇をとることを遠慮し、いやいや時間外労働に従事している者があるからといって、原告がこれに歩調を合わせなければ労働契約上の義務履行について瑕疵があるということにはならないことはいうまでもない。

また、このような職場の実態が温存助長されているのは、被告会社における労働組合の体質によるのである。労働組合の主導権を下級職制が掌握し、被告との密接な連携のもとに、労使協調路線として、原告のように労働者としてあたり前の権利を主張するものを労働組合からも排除しようとしているのである。

被告と労働組合の癒着の様は、原告に対する被告の休職処分と労働組合の統制処分、本件解雇と「除籍処分」というように一体となって現出していることによって明らかである。

(二)  右のような労使協調、労使一体を美化するイデオロギーが「豊かな会社、豊かな社員、豊かな社会」という被告の経営理念なのである。

このような経営理念に賛同することも、これに賛意を示さないこともまた、従業員の思想信条の自由の範囲内の事柄である。

原告および組合青年部が、労働組合執行部およびその中核である班長らと被告の結びつきを事実を挙げてビラに記載し、これに警鐘を鳴らすということは、何ら非難されるべき筋合のものではないのみならず、組合活動として自由になしうることであることは疑う余地がない。

被告のこの主張は、被告が原告の原則的で正しい組合活動をいかに敵視し、また嫌悪していたかを示して余りあるものであるが、また、被告の「経営理念」およびこれにもとづく労務管理がいかに独断的でかつ強引であるかを物語っているのである。

原告は被告主張のごとき独断的性格をもっていたり、自己顕示性が強いなどということは決してない。

(三)  原告が同僚との信頼関係を失っていたとの被告の主張に対しては、当時、原告は組合青年部長に選ばれ多数の青年部員の信望を得、任期を全うしたという事実によって反論としては充分であろう。

要するに、上司・職制が原告の活発な組合活動や労働者として当り前の要求・行動に対して嫌悪していたにすぎないのであって、被告の主張は上司・職制の右嫌悪感を同僚の気持と故意に混同させているのに外ならない。

五、本件各処分がなされるまでの経緯は、左のとおりである。

(一)(1)  原告は、被告会社に入社すると同時に製造課第二係特殊機械班に所属し、次いで昭和四六年一〇月頃新型機械を導入するにつき、その技能を買われ、ポンプ課数値制御機械班(略称NC班)に移り、その間、真面目に勤務を続け、刻苦精励し、様々の技術改良に寄与し、被告その他より表彰されることも多々存した。

(2)  また原告は、そのかたわら、昭和四四年七月頃から被告会社従業員で組織する理研小千谷工場労働組合の組合員として、熱心に組合活動を行ってきた。

(3)  被告は、昭和四八年四月頃より原告の属するNC班に「二交替制」を実施しようとしたが、原告は組合青年部の一員として二交替制反対闘争の中心的役割を果した。

しかし、その闘争中の八月一日、原告は何らの合理的理由の説明もないまま、技術に熟練したNC班からラム課大型機械班へ配転させられてしまった。そして、その直後NC班に二交替制が実施された。

(4)  ついで、昭和四九年の春闘の真最中の三月二二日、原告は前記配転よりわずか八ケ月しか経過していないのに、またしても何らの合理的理由も説明もないまま前記ラム課大型機械班から現在の管理課検査係へ配転させられ、全く機械を操作しない職種に変えられてしまった。

(5)  右春闘においては、原告が組合の執行委員会等の幹部批判をなしたことから、原告と組合の執行部との間に若干のトラブルが生じた。

(6)  被告は、右トラブルを知るや、これを奇貨として、原告に「経営理念を否定する言動があった」として、昭和四九年七月六日原告に対し任意退職を強要するとともに、第一次処分と称して「休職処分(七月八日から三ケ月)」を通告した。

(7)  原告は右第一次休職処分に対して抗議するとともに、直ちに地位保全仮処分命令の申請(当庁昭和四九年(ヨ)第四九号)をなし、右事件は、右休職処分が労働協約に違反するものであるとともに、従業員の主体的帰責事由を処分理由としながらも懲戒処分ではなく休職処分にするという決定的誤謬をおかしたものであったため、七月二六日、原告の主張を全面的に認める仮処分決定がなされた。

(8)  ところが被告は、右決定に容易に従おうとしないばかりか、かえって右第一次休職処分の期間満了の日(一〇月七日)の翌日である一〇月八日、原告に対し、被告が一方的に作成した「誓約書」なる書面に捺印を求め、原告がこれを拒否するや、再び原告に対し第二次処分と称して「休職処分(一〇月八日より一ケ月)」を通告した。

(9)  原告は、右第二次休職処分に対して抗議するとともに、直ちに地位保全仮処分命令の申請(当庁昭和四九年(ヨ)第八三号)をなし、右事件は現在審理が進行中である。

(10)  そして前記第一次仮処分事件の本案である昭和四九年(ワ)第一四四号休職処分無効確認請求事件及び前記第二次仮処分事件は和解の手続が進行したが(一一月一三日、二〇日、二八日)、被告は、裁判所から原告の復職を前提とする和解案を提出されるや、これをかたくなに拒否したため、結局和解は不調に終り、弁論、証拠調べが続行することとなった。

(11)  ところが、右最後の和解期日の翌日たる一一月二九日、被告は、満を持し、機を見計っていたように、原告に対し懲戒解雇をなしたのである。

このような被告の態度は、正に一方で和解に応じながらも他方で懲戒解雇という新たな処分を事前に内部で決定し、準備し、そして和解を自ら壊していったというべきである。

(12)  そして同時に、被告は、原告に対し、第二次休職処分の期間満了の日の翌日たる一一月八日から解雇当日の一一月二九日までの日割計算によって計算した給料金四四、二九六円を支払ってきた。

(13)  原告は、第一次休職処分後も就労すべく被告会社へ赴いたが、被告によって拒絶された。原告は、その後も就労を求めたが、被告のそのような態度は、第一次仮処分決定後も変らず、第二次休職処分後も同様であり、さらには第二次休職処分の期間満了後懲戒解雇の日までも同様であった(但し、この間のみは原告が就労していないのにかかわらず給料を任意に支払っている)。

ここにも、原告をとにかく被告会社から排除しようという被告の意図が露骨に現われている。

(二)  右の経過は、原告がその有する技術など労働能力において秀れていたにもかかわらず、被告は、原告が組合活動家として、とりわけ組合青年部の中心的存在であり、職場の中においてもその影響力が多大であったことを嫌悪敵視し、何らの合理性、必要性のない配置転換を二度にわたってなすなど、職場から排除し、さらには強引に被告会社から排除しようとして解雇におよんだのであることは明らかである。

したがって、本件処分は、原告を被告会社から排除することを企図した被告が、事実を捏造しあるいは通常懲戒処分の理由とはなしえないような事由を口実に、原告を解雇する前提としてなしたものであって、不当労働行為であることは明らかである。

ちなみに、被告が休職処分の理由とする事実は、すべて原告をNC班からラム課へ、ラム課から検査係へ配置転換した後の時期のことである。

そして、原告が本件処分時従事していた検査係外注検査担当なる職務は、原告を配置転換しこれに従事させるまでは被告会社小千谷工場においては存在しなかった職場であって、原告を同僚より引離し、「あらさがし」とでもいうべき解雇等の処分理由を作り出すため、被告においてわざわざ新たに作った職場であり、被告はここで原告の一挙手一投足を監視したのである。

(証拠関係)…略

理由

第一、当事者間に争いがない事実

請求原因一の(1)・(2)の事実、同二・三・四の事実、同五の(一)の(1)の事実、同七の(一)の(1)の事実、同八の(一)の(1)の事実、被告の主張第一の事実、同第二の一の(二)の(3)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

第二、本件休職処分の効力について

一、会社の就業規則(〈証拠略〉)は、第三章人事の章に「第五節、表彰及び懲戒」の節(第六九条ないし第八二条)をもうけ、その中で第七六条は、懲戒の種類として「譴責、減給、出勤停止、役位剥奪、懲戒解雇」の五種類を定め、かつ、その内容につき左のとおり定めている。

「一、譴責。 始末書を取って将来を戒める。

二、減給。 始末書を取って、一回について平均賃金の半日分以内、総額においてその月総支給額の一〇分の一以内を減給する。

三、出勤停止。 始末書を取って、一〇日以内出勤を停止し、その間賃金を支給しない。

四、役位剥奪。 始末書を取って役位を剥奪する。

五、懲戒解雇。 即日解雇し、その理由如何によっては解雇手当を支給しない外、退職手当金支給規程に定める退職手当金を支給しない。」

そして、右各懲戒処分の対象となる具体的事由については、譴責処分については第七七条に、減給・出勤停止・役位剥奪処分については第七八条に、懲戒解雇処分については第七九条に、それぞれ列記されている。

二、ところで、会社が従業員に対してなす懲戒処分は、従業員が会社の経営秩序に反する行為等をした場合に、経営権に基いて会社が当該従業員に対してなす制裁処分であるが、その懲戒処分の種類・内容・程度および基準等が就業規則に定められている以上、会社としてもこれらの定めに拘束され、右の定めを無視してこれとは異った種類・内容・程度の制裁処分を課することは許されず(就業規則第六九条も「会社は従業員の……懲戒はこの節の定めるところにより行う。」と規定している。)、これを無視してなされた懲戒処分は無効である。

三(一) 会社と組合との間で締結された労働協約(〈証拠略〉)は、「第八章、休職」の章(第四九条ないし第五二条)をもうけ、第四九条は、休職事由として左のとおり定めている(右の点は当事者間に争いがない。)。

「1 業務外の傷病により、欠勤が引続き四ケ月に及んだとき。

2 家事都合、その他の事由で欠勤が引続き三〇日に及んだとき。

3 刑事事件に関係し起訴されたとき。

4 公職に就任し、会社業務に支障あるとき。

5 組合業務専従者又は組合に関連ある外部組合関係、諸団体の役員に就いて会社業務に従事できないとき。

6 その他特別の事情があると認めたとき。」

また、就業規則は、第三章、人事の中に「第三節、休職」の節(第五六条ないし第五九条)をもうけ、第五六条は、休職事由として左のとおり定めている。

「1 私傷病によって欠勤が引続き四ケ月を超えたとき。

2 事故欠勤が引続き三〇日を超えたとき。

3 刑事事件に関係し起訴されたとき。

4 社命により社外の業務に従うとき。

5 公職に就任し、会社業務に支障あるとき。

6 組合業務専従者又は組合に関連ある外部組合関係、諸団体の役職員に就いて、会社業務に従事できないとき。

7 その他、前各号の外、休職の必要があると認めたとき。」

(二) そもそも、休職処分は、「従業員につき客観的に明白な一定の事由が存在するため、就労が不能かもしくは適当でない期間、一時的に、従業員たる地位を保有させたまま、就労を禁止する処分」と解すべきであり、これによって、会社は従業員に対する賃金支払義務を免れる利益を有するとともに、他方、従業員としても、一定の期間、会社の従業員たる地位を保有したまま就労義務を免かれるという利益を有しているものであり、右は、本来、制裁的性格を有しないものである。

このような休職制度の趣旨、休職処分や懲戒処分に関する労働協約並びに就業規則の体系および前記各定めに徴すると、休職処分と懲戒処分とはその目的を異にする制度であることは明らかである。

四、これを本件についてみるに、被告が原告に対してなした本件各休職処分(その内容は後記認定のとおりである。)は、原告に対する制裁としてなされた懲戒を目的とする処分であることは、被告の主張および弁論の全趣旨並びに後記認定に照らして明らかである。

五、そうすると、本件各休職処分は、原告に対し、就業規則に定めない種類・内容の懲戒処分を課したことになり、従って、右各処分は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも無効であるといわざるをえない。

第三、本件懲戒解雇の効力について

一、(証拠略)および前記当事者間に争いがない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和三九年四月一日、被告会社に入社し、製造部特殊機械係に配属されて旋盤工として従事し、三ケ月の試用期間を終えて同年七月一日から本採用となり、同時に組合に加入した。

昭和四四年一一月、会社に数値制御機械(NC旋盤)が新しく三台導入され、昭和四五年四月、製造部油圧課ポンプ機械係に新たにNC班が新設されるに伴い、原告はその能力と経験を買われて他の三名とともに右NC班に配属された。当時、右NC班は、会社の製造部にとってはいわば花形部門と評価されていた。

次いで、原告は、配置転換により(その経緯については後記のとおり)、昭和四八年八月一日から昭和四九年三月二一日まで製造部ラム課機械係旋盤特殊班に配属され、昭和四九年三月二二日以降は本件懲戒解雇がなされるまで管理部技術管理課検査係に配属されていたものである。

(二)  会社と組合は、いわゆる労使協調路線を主軸とする労使関係を維持してきており、会社は、右労使協調路線を基礎として、「豊かな会社、豊かな社員、豊かな社会」の三位一体の実現を会社の経営理念として位置づけ、従業員にもこれを訴えており、朝礼などの際には従業員にこれを唱和させるなど、右経営理念の精神の尊重を力説していた。

(三)  原告は、組合員となって以後、昭和四四年ころから組合青年部員の一員として積極的に組合活動にとりくみ、左のとおり組合役員等を経験した。

昭和四四年七月、青年部副部長に選任される。

昭和四六年七月、青年部長兼組合執行委員に選任される。

昭和四八年七月から昭和四九年七月まで、組合執行委員。

昭和四八年一二月六日から昭和四九年九月まで、小千谷地区労働組合協議会(以下、地区労という。)の青年婦人部書記長。

(四)  NC班の二交替制勤務の問題

(1) 問題の発端

NC班では、仕事量が増加したため、正規の勤務時間内では受注分を処理することができず、昭和四七年ころからいわゆるスケジュール残業がとられるようになった。スケジュール残業とは、一週間のうち月・火・木・金の各曜日に四時間ずつ、一人が週二日宛(一回につき二人)が残業するというスケジュールが組まれたことをいう。会社は、このような慢性的な残業体制を解消するために、昭和四八年四月ころ、NC班につき、いわゆる二交替制による勤務体制を考えてこれを発表し、同年六月一九日、組合に正式に提案した。

(2) 二交替制勤務の内容

会社が提案した二交替制勤務とは、NC班の従業員を八名に増員し、これを四名ずつ二組に分け、一つの組は八時一〇分から一七時まで勤務し、もう一つの組は一三時から一二時三〇分まで勤務することにし、これを交替制にするという勤務体制のことである。

(3) 青年部および原告の反対

右二交替制が発表されるや、組合青年部は、昭和四八年六月一二日に臨時大会を開いてこれに反対する決議をし、原告は青年部長でありかつNC班員の当事者でもあることから、右二交替制に強く反対し、右反対運動の中心的存在となって行動した。

(4) 原告が二交替制に反対した主な理由は左のとおりである。

(イ) 正規の勤務時間(一七時まで)終了後の私的ないしは社会的な諸活動が制約されること。

(ロ) その結課、友人との交流や家族との団らんの時間が奪われること。

(ハ) 生活が不規則になること。

(ニ) 残業だと場合によって断ることもできるが、二交替制になると勤務時間が拘束されること。

(5) 組合の対応

これに対して組合執行部は、条件付賛成の態度を示し、会社と交渉した結果、一七時以降の勤務時間については一律に三割五分の割増手当を支給すること、一週間につき三〇〇円の手当を支給すること、一日当り一〇〇円の夜食代を支給すること、期間を三カ月だけに限ることなどを条件にして、労使間に合意が成立した。

組合では、昭和四八年八月二八日、臨時組合大会を開いて、右条件による二交替制勤務の実施を承認した。

(6) 二交替制勤務の実施とその結果

会社は、あくまでも二交替制に反対する原告を昭和四八年八月一日付でNC班からラム課に配置転換し、新たに三名をNC班に増員し、これに高木係長が加わり、総勢七名により(このほか、午前中だけ小型特殊機械班の大塚春夫が加わり)、昭和四八年九月三日から同年一二月三日まで右二交替制勤務が実施された。

午前中のみ勤務する右大塚を除く七名の勤務体制は、原則として、三名が八時一〇分から一七時まで、他の三名が一三時から二一時三〇分まで、それぞれ勤務し、常時一名が八時一〇分から二一時三〇分まで勤務し、これを交替制にして実施された。

右二交替制の実施により滞っていた受注分は処理され、その後は、新しい機械が導入されたことおよび需要がさほど増加しなかったことなどから、二交替制は必要とされていない。

(五)  第一次休職処分までの経緯

(1) ビラの問題

原告がNC班からラム課に配置転換された後の昭和四八年八月以降、「理研青年部教宣ビラ係」「理研青年部情宣局」等の名で、ビラが頻繁に発行された。右ビラの記載内容の一部分を抜すいしたものは乙第一八号証の一ないし四のとおりである。

会社は、右ビラの記載内容は、前述した労使協調路線を否定し、会社の経営理念に反するものであるとしてこれを重視した。昭和四九年三月一八日、会社の常務取締役佐藤太は、春闘の賃上率の説明会において、従業員に対し、「青年部のビラを組合は認めるのか。経営理念に従わない人は去ってもらいたい。」と発言している。

会社は、これらのビラは原告が書いたか、もしくは原告が中心となって書かれたものと判断し、原告を会社から排除する必要があると考えるに至り、昭和四九年六月、会社は、原告の懲戒につき賞罰委員会に諮問した。

(2) 賞罰委員会(以下、単に委員会という。)

委員会は、労働協約第六八条ないし第七〇条、就業規則第八二条に基いて成立し、従業員の賞罰に関して決議を行うものであり、会社側四名・組合側四名の各委員によって構成される。昭和四九年六月当時の委員は左のとおりである。

(イ) 会社側委員。 副社長西川敏郎、常務取締役(工場長)佐藤太、管理部次長川上京造、製造部次長近藤満寿男。

(ロ) 組合側委員。 執行委員長伊佐忠久、副委員長佐藤徳治、書記長新保勲、執行委員久保田利章。

(3) 委員会における審議

(イ) 昭和四九年六月一七日、第一回委員会。

右委員会において、会社側委員と組合側委員との間に左のとおりのやりとりがあり、審議は続行された。

西川、「原告の一連の行動と考え方を分析したとき、本人のためにも、会社のためにも、全従業員のためにも、原告は会社にいない方がプラスと思うが、組合はどう考えるか。」

伊佐、「今回の委員会は会社から申入れたものだから、その理由を明示した中で議論すべきである。理由を明示せよ。」

佐藤太、「その前に質問するが、昨年夏以来、職場内にビラ係の名で数回に亘り配布されたビラおよびその内容について、組合は認めるのかどうか。」

伊佐、「組合としては、今までのビラを正当な組合のビラとして認めることはできない。すでに執行委員会は、執行委員である原告を統制処分にする方針を決めている。」

佐藤太、「もしも、ビラが正当な組合活動としてやられたのであれば、会社としても別の面で考えなければならないが、その点がはっきりしたので、それらも含めて次回に具体例を明確にする。」

(ロ) 同年同月一八日、第二回委員会。

佐藤太委員は、「原告を賞罰委員会に提訴する会社見解」(乙第一七号証)を説明した。その要旨は左のとおりである。「会社は、相互理解と労使協調が会社にとっても従業員にとっても最も大切な基盤であると常々強調してきた。しかるに、昨年夏以来、理研青年部ビラ係等の名で右の精神を否定するかの如き文章がしばしば流布され、憂慮していたが、検討したところ、右は組合活動から逸脱した原告個人の見解であるものが多く、従業員の多くも原告の言動にひんしゅくを与(ママ)えていることを知り、ここに原告を賞罰委員会に提訴したものである。

思うに、原告は、組合運動・大衆運動という美名をかくれみのにして、自己の考え方、不満を主張し、拡大せんとしているものであり、このような行為は、会社のみならず全従業員を冒涜する許すべからざるものであって、断固たる処置をとるべきである。」

次いで、会社は、会社が特に問題としているビラの内容とこれに対する意見を説明した。会社が問題にしたビラの内容は、乙第一八号証記載のとおりである。

これに対して、組合側委員は、これらの書類を各委員に配布することを要求し、委員会は続行された。

(ハ) 同年同月二四日、第三回委員会。

会社側は、「佐藤吉一君を賞罰審査委員会に提訴する会社見解」と題する文書(乙第一七号証)および、ビラの内容を検討した文書(乙第一八号証)を各委員に配布するとともに、原告には就業規則に違反する行為があると口頭で説明した(但し、どの程度の説明がなされたのかは明らかでない。)が、右の点については文書は作成されていない。

委員会で討議のうえ、会社側は、「原告には退職を勧告する以外にない。それでも反省しないときは、次の手を打たねばならないと思う。」と提案し、組合側は、「本人の出方を見る手段として勧告もやむをえない。」と同意した。

そして、最終的には、社長の決断を受けて委員会に最終案をはかることになった。

(ニ) 同年七月五日、第四回委員会。

委員会では、原告の反省をうながす目的で、原告に対し、三ケ月間の休職処分にすることを決定した。

(4) 第一次休職処分

昭和四九年七月六日、西川副社長は、原告に対し、第一次休職処分を告知した。その際、西川副社長は、原告に対し左のとおりのべている。

「退職を前提に三ケ月の休職期間を与えるから、その間に新しい職を捜してほしい。その間は六〇%の給料を保障する。処分の理由は、君の言動が経営理念に副わないからである。」

また、同日、会社から組合に宛てられた通知書(甲第三号証、乙第二五号証)には、処分の内容として左のとおり記載されている。

「会社は、労働協約の精神に添った経営理念の精神を否定する原告の言動を甚だ遺憾とし、円満退職を希望し、とりあえず、七月八日から三ケ月間の休職とする。」

(5) 原告の対応策

昭和四九年七月八日、原告は、会社および組合に対し、「休職処分の具体的理由を明らかにしてほしい」旨の要請書(甲第一五・一六号証)を提出したが、会社および組合は、同月一〇日、口頭でいずれも右の回答を拒否した。

原告は、同月一八日、新潟地方裁判所長岡支部に賃金支払を求める仮処分を申請し(昭和四九年(ヨ)第四九号事件)、同裁判所は、同月二六日、「被告は原告に対し、昭和四九年七月以降同年九月まで毎月二八日限り、金七九、四〇〇円ずつを仮に支払え。」との仮処分決定をした。

ついで、原告は、同年八月一日、同裁判所に、休職処分無効確認請求の訴(昭和四九年(ワ)第一四四号事件。本件訴訟。)を提起した。

(六)  第二次休職処分までの経緯

(1) 昭和四九年一〇月七日、委員会。

原告に対する第一次休職処分は同日で満了するため、同日、委員会を開き検討した結果、会社側は、「本人を呼んで反省して戻るなら受入れる。反省しないなら、さらに三ケ月の休職(無給)にしたい。」と提案し、組合側も、「若い人だから、念には念を入れて、再度、反省を求めたい。」との意見をのべた。その結果、もう一度原告の反省を求めるために一ケ月間の休職処分にすることを決定した。

(2) 同年同月八日、委員会。

第一次休職期間が満了した原告は、同日、会社に出勤した。委員会は、出勤した原告を委員会の席に呼び出し、あらかじめ会社において作成しておいた誓約書(甲第五号証、乙第一九号証)を原告に示して、原告の押印を求めた。

右誓約書には、左のとおりのことが記載されている。

「私こと、此度びの休職処分中、深く反省し、今後左記事項を厳守して勤務することを、ここに誓約いたします。

左記

一、経営理念の精神を尊重し、これに協力し、かつ、これに反する言動は一切致しません。

一、労働協約・就業規則並に会社の諸規程を厳守するは勿論、これらに進んで協力し、過去に行ったことのある

(イ)  時間中のビラ原稿書き並にビラ配布

(ロ)  職場の無断離脱

(ハ)  私用電話の無断使用

(ニ)  無断・無届外出

等々、職場の統制・秩序を乱す行為は今後絶対にいたしません。右誓約いたします。」

原告は、「会社の経営理念は組合的でないので認める訳にいかない。(ロ)、(ハ)については認めるが、(イ)、(ニ)は認められない。」と、誓約書への押印を拒否した。

(3) 第二次休職処分

そこで、会社は、原告に対し、同日、第二次休職処分(無給)を告知し、かつ、組合に対しその旨を通知(甲第六号証、乙第二八号証)した。

(七) 本件懲戒解雇までの経緯

(1) 前記本案事件について審理していた裁判所は、昭和四九年一一月初ころ、当事者双方に和解を勧告し、数回に亘り和解が試みられた。ところが、この間、同月二日以降、「原告を守る会」の名等で、「和解の幻想を断て」、「理研解体」等と記載されたビラが配布され、ステッカーが貼られ、ハガキが会社宛に送付されてきたことから、会社は態度を硬化させ、右一一月二日以降の原告および守る会の行動につき原告が詫び状を差入れ、一一月二日の以前の状態に戻すことが和解を進める上での前提条件であるとの姿勢を示した。しかし、原告が右詫び状の差入れに応じなかったため、同月二八日、和解は打切られた。

(2) 翌一一月二九日、賞罰委員会が開かれ、その席に原告は呼出された。会社は、あらかじめ作成しておいた詫び状(乙第二一号証)を原告に示して押印を求めたが、原告はこれを拒否した。会社は、右詫び状のほか誓約書(乙第二二号証)をもあらかじめ用意しておいたが、原告が詫び状への押印を拒否したため、これを原告に示すまでに至らなかった。

(3) そこで、会社は、原告に対し、同日、本件懲戒解雇の意思表示をした。

(4) 原告は、新潟地方裁判所長岡支部に地位保全・賃金支払の仮処分申請(昭和五〇年(ヨ)第一八号事件)をし、同裁判所は、昭和五一年一〇月二日、右申請を認容する判決(甲第二〇号証)をした。次いで、原告は、同年一二月一〇日、雇傭関係存続確認等請求の本件訴訟(昭和五一年(ワ)第二二八号事件)を提起した。

(八) 組合の統制処分

この間、組合は、執行委員である原告が、組合大会や執行委員会で決定した方針に反する内容のビラを発行していること等を理由として、昭和四九年六月、執行委員会で、原告に対する統制処分として、「組合員としての原告の権利を六ケ月間停止する」ことを決定し、同年七月四日の臨時組合大会において右承認の決議を得、同日、これを告示(乙第二四号証)した。

その後、社会党や地区労などが原告と組合との和解を試みたが、原告がその後も組合ないし執行部を批判するビラ等を配布し、右和解案を拒否したため、和解は成立するに至らなかった。

その後、原告が被告から懲戒解雇されたため、同年一二月二日の組合大会において、「一二月九日付で原告を組合員から除籍する」旨が決定され、その旨の通知(乙第五〇号証)が原告に対してなされた。

二(一)(1) 以上認定のとおり、原告がNC班に配属されていた昭和四八年四月ころ、二交替制勤務の問題が提起され、原告は青年部長およびNC班の一員としてこれに強く反対したこと、会社は、右二交替制に強く反対する原告を同年八月一日付でラム課に配置転換し、同年九月三日から右交替制を実施したこと、これに対し、原告は、同年八月以降、青年部教宣ビラ係等の名で頻繁にビラを発行したが、会社はそのビラの記載内容が会社の経営理念を否定するものとしてこれを重視し、原告を賞罰委員会にかけ、原告に対する制裁処分として第一次・第二次休職処分をなし、ついで本件懲戒解雇処分をするに至ったものである。

(2) 右のとおり、会社は、ビラ係等の名で発行されているビラは原告がこれを作成しているものと考え、これらのビラの記載内容は会社の経営理念を否定するものであるとしてこれを最も重視し、これを主たる理由とし、原告に制裁を課する目的で本件各処分をなしたものである。

これに対して、被告は、本件各処分の理由として、原告の無断職場離脱・勤務時間中のビラ原稿書き等の具体的理由を主張しているが、会社としてはこれらの事由はあくまでも従たる理由と考えていたにすぎず、ビラの記載内容を本件各処分の主たる理由に考えていたことは、前記認定の一連の経緯、とりわけ左記の各事実に照らして明白であるといわざるをえない。

(イ)  会社は、いわゆる経営理念の尊重を従業員に訴えてきており、朝礼の際には、従業員に右経営理念を唱和させていたこと。

(ロ)  昭和四九年三月一八日、佐藤太常務は、「青年部のビラを組合は認めるのか。経営理念に従わない人は去ってもらいたい」旨発言していること。

(ハ)  原告を賞罰委員会に提訴するについての会社見解(乙第一七号証)は、経営理念を否定するビラのことのみを問題にしていること。

(ニ)  賞罰委員会の冒頭において、会社側は、組合がビラの内容を認めるのかどうかをまず問題にしており、次いで、組合側から、提訴の理由を文書で明らかにするように求められた会社は、右乙第一七号証のほかにビラの内容を検討した文書(乙第一八号証)を提出したのみで、職場離脱等の具体的事由については文書によって明示していないこと。

(ホ)  第一次休職処分を原告に告知した西川副社長は、処分の理由として、「君の言動が経営理念に副わないからである。」と述べただけで、その他の事由については言及していないこと。

(ヘ)  第一次休職処分について会社から組合宛に出された通知書(甲第三号証)にも、「会社の経営理念の精神を否定する原告の言動を甚だ遺憾とし……」とのみ記載されていること。

(二) ところで、思想・信条の自由および表現の自由は、憲法によって保障された基本的人権であり、企業と従業員の間にあっても、企業がみだりに一定の思想・信条を従業員に要求したり禁止することは許されないことである。

もともと、会社と労働組合(員)との関係は、本質的に利害対立の関係にあり、この両者が、現に、いわゆる労使協調路線をとっているか、あるいはいわゆる闘争路線もしくはその他の路線をとっているかは、労使双方の力関係によるか、ないしは価値判断の一選択の問題にすぎない。

従って、たまたま、会社と組合が労使協調の関係にあるとしても、組合が何時にてもその路線を変更することはもとより自由に選択しうることであり、また、組合員の一部少数者が労使協調路線に反対する意見を表明し、他の組合員に訴えてその同調を求め、そのための行動をとることもまた(それが他の秩序違反を伴わない限り)自由であり(組合の統制違反の問題は組合の内部問題にすぎない。)、これに対して会社が何らかの不利益取扱いをすることは、労働組合法第七条第一号に反することになる。

(三) これを本件についてみるに、会社は、労使協調路線を基軸として、「豊かな会社、豊かな社員、豊かな社会」の三位一体の実現を経営理念としているものであり、会社がこのような経営理念の尊重を訴えることはもとより会社の自由であるが、このような理念の尊重を従業員に要求しうるものでないことは、右(二)でのべたとおりであって、原告がこれに反対する意見を表明し、他の従業員にこれを訴え、そのために行動することは、それが反社会的な内容のものであったり、あるいは他の経営秩序違反が伴わない限り、原告の思想・信条および表現の自由の範囲内のことであって、何ら問責されるべきことではないというべきである。

企業は、従業員が、企業の経営理念に反する信条をもっているからといって、これを企業外に排斥する自由を持っているものではないのである。

(四) (人証略)によると、会社が問題としたビラの内容は、乙第一八号証の一ないし四に記載されているとおりであるという。

これらのビラの内容は、会社が提唱する前記経営理念の精神にそぐわない内容のものであることは明らかであるが、その内容の殆んどは、労働者の立場からすれば当然に予想される範囲内の意見主張にすぎず、いずれも思想・信条・表現の自由の範囲内のものであって、それが反社会的な内容のものでないことは、一見して明瞭である。

(五) 従って、原告が書いた(という)ビラの内容が、会社が提唱する経営理念の精神を否定するものであるとして、これを懲戒処分の対象とすることは、本来、懲戒の対象となりえない事実に対して懲戒権を行使するものであって、懲戒権の範囲を逸脱する違法なものというべく、被告が原告に対してなした本件懲戒解雇の意思表示は、その理由の主要な部分につき前提を欠くものといわざるをえない。

三、そこで、被告が本件懲戒解雇の理由と主張する職場離脱等の具体的事由について、これらの事実の有無およびそれが懲戒解雇の事由に該当するか否かの点について検討することにする。

(一)  遅刻・早退・半日休暇および外出について

(1) 原告が、被告主張のとおり半日休暇をとったこと(被告主張の第二の一の(一)の(3)の(イ)ないし(ヨ)の事実。但し、〈証拠略〉によると(イ)の届出日は八月三一日の、また(ヘ)の行為日は一二月四日の各誤りと思われる。)は、当事者間に争いがない。

また、(証拠略)によると、遅刻については被告主張の同(1)の(イ)・(ロ)・(ハ)のとおりであること、早退については同(2)の(イ)ないし(チ)のとおりであること(但し、(チ)の行為日は二月一二日であり、その届出日も同日である。)、外出については同(4)の(イ)ないし(リ)のとおりであることが認められ、右認定をくつがえすに足る証拠はない。

(2) しかしながら、(証拠略)を総合すると、右はその殆んどが事前に会社に届出られ、かつ、そのすべてが会社によって有給休暇として承認され、処理されていることが認められる。

(3) 被告は、原告によるこれらの遅刻・早退等は、その頻度の点においても、また、その理由の点においても、就労義務違反に該当すると主張する。

しかしながら、労働者が有給休暇を、許された日数の範囲内でどれだけの回数をとるか、また、これをどのような目的に利用するかは、全く労働者が自由に決め得ることであって、これによって、会社の正常な業務運営が妨げられる場合には、会社は時季変更権を行使することができるにすぎないことは、労働基準法第三九条第三項によって明らかである。

しかるに、被告が右時季変更権を行使したことがないことは弁論の全趣旨によって明らかであり、従って、原告に就労義務違反があるとの被告の主張は、理由がないというべきである。

(二)  職場離脱等について

(1) 従業員は、勤務時間中は誠実に勤務に従事し、正当の理由なく職場を離脱してはならないことは当然のことである(就業規則第四三条、第四四条第三号・第七号)。

ところで、(証拠略)を総合すると、原告は、勤務時間中、しばしば自己の職場を離れることがあり、そのうち、上司がチェックしたものだけでも被告の主張第二の二の(二)の(1)の(ロ)の(a)ないし(d)、同(ハ)の(a)ないし(f)の事例があること(但し、これらの離脱していたとする時間の点については、これを裏付ける証拠はないから、にわかに措信することはできない。)、右のうち(ロ)の(a)・(b)・(c)の例は、原告が積極的に職場を離脱したというのではなく、むしろ原告がこれらの人達から話しかけられた立場にあったことが認められ、右認定に反する(証拠略)は措信できず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

(2) 他方、(証拠略)を総合すると、当時、原告の職種では、工具類の取寄せのため、あるいは手洗いに行くため、上司の許可を受けるまでもなく短時間職場を離れることがあったこと、当時、組合の執行委員等の役員は、組合の執行委員会に出席するなどの組合用務のため、勤務時間中に一時職場を離脱することがあり、このようなことは労使慣行として黙認されていたこと、原告の職場離脱によってその業務が特別に阻害された形跡はないことが認められる。

(3) 右(1)・(2)の事実によれば、原告の右職場離脱等の行為は、必ずしもその全てが就業規則に反する行為であると断ずることはできないが、反面、その全てが職務ないし組合用務上の必要に基くものとも解し難く、この点において、原告には会社の経営秩序に反する行為があったと言わざるをえない。

(三)  ビラ等の原稿書きについて

就業規則第四三条によると、従業員は、勤務時間中に会社業務以外の行為をしてはならないと定められているところ、(証拠略)を総合すると、原告は、昭和四八年八月ころから昭和四九年三月ころまでの間、勤務時間中、機械を作動している合間に、機械の近くにある工具箱の上等で、思いつくままに、ビラの原稿の文案等を、不要になった図面の裏面などにメモするなどしていたことが時々あり、上司から何回か注意を受けたことがあること、右のようなメモ等に要した時間は、概ね二分ないし一〇分程度であったこと、原告による右メモ書きのため会社の業務に影響を与えたことはなかったこと、当時原告の職務は、機械の操作中であっても、必ずしも常時監視の必要はなかったこと、が認められ、右認定に反する(証拠略)は措信できず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

原告の右行為は、会社の経営秩序に反する行為であることは明らかである。

(四)  私用電話の無申告等について

(証拠略)を総合すると、会社は、職場内の電話を従業員が私用で利用することを認めていたが、その場合、右利用者は、備付のノートに、利用の日および利用回数を記入し、右使用料については、会社は給料からこれを差引くという取扱いであったところ、原告は、電話の私的利用と思われる回数が多いのに、右ノートへの記載は殆んどなされておらず、昭和四九年一月ころ、近藤製造部長が原告の私用電話を注意した際、「これからも短時間の私用電話はする。」と反論し、言い争いとなったことがあることが認められる。

(五)  無断外出について

就業規則第二九条によると、「やむをえない事由で私用外出する必要のある場合は、予めその用務・行先・予定時間等を所定の願書により所属長に申出で許可を受けなければならない。」と定められているところ、(証拠略)を総合すると、原告は、昭和四九年三月一日の午後、班長に口頭で外出する旨を告げたのみで、班長から「書類を出して行くように」との指摘を受けながら、届出書を事前に提出することなく、私用で約二時間外出し、帰社後、右届出書を提出したことが認められる。

(六)  残業不協力について

(1) (証拠略)および前記認定の事実を総合すると、会社と組合は、昭和四八年九月一日に初めて労働基準法第三六条に定めるいわゆる三六協定を結んだものであるが、会社は、それ以前にも、従業員の協力を得て残業を実施していたこと、右三六協定の成立は、原告から、それ以前の残業が三六協定なしに実施されたもので違法であるとの指摘がなされたため急遽結ばれたものであること、原告は、NC班に配置されていた当時は、同班におけるスケジュール残業をほぼ割当どおりに実行していたこと、ラム課に配置された後は、殆んど残業しておらず、同課の同僚と比して残業した時間は著しく少いが、当時、原告は、組合の執行委員であり、かつ、地区労青年婦人部の書記長であったため、これらの組合用務に多忙であったうえ、自動車の運転免許をとるために自動車教習所に通っていたことなどのため、残業に協力できなかったものであること、これに対し、原告の上司が原告に対して残業を命じたり、あるいはこれを強く要請した形跡はないこと、原告が検査係に配置されてからは、同職場が残業を必要とする職場でなかったため、残業するようにとの要請はあまりなされなかったこと、をそれぞれ認めることができる。

(2) ところで、会社は、三六協定が結ばれていない限り、従業員に対し、残業(時間外労働)を命ずることはできず、従って、昭和四八年八月三一日以前に原告が残業の要請を拒否したことがあったとしても、これをもって経営秩序に違反していると問責することはできない。

(3) つぎに、三六協定が成立した後において、個々の労働者が使用者から残業の業務命令を受けたとき、労働者はこれを拒否することができるかどうかについては、争いのあるところである。

労働者が、いわゆる私法上の残業義務を負担するか否かは、要するに労働契約(その内容は、労働協約・就業規則・慣習等によって定まる場合もある。)によってきまるものである。

しかしながら、残業義務は、使用者の業務命令によって初めて具体化するものであり、通常の労働とはその性格を異にするものであること、労働者としては、時間外労働についてはあらかじめ予定していないことも多く、他の何らかの社会的諸活動を予定していることがありうること、および、労働基準法第三六条の立法趣旨などを考えると、残業命令の拒否が経営秩序違反になるかどうかの判断については、通常の場合と同じ規律をもって律するのは妥当でなく、使用者側の残業を求める臨時の必要性と労働者側の残業を拒否する理由の相当性との比較において、個々具体的に検討されるべきものと考える。

(4) 会社の就業規則第一七条によると、時間外労働は、所属の部・課・係の長において事前に所定の時間外労働指令書により命ずるものとすると定められている。

しかしながら、原告に対し、右指令書により業務命令として残業命令が発せられた形跡は全くなく、前記認定の事実に照らすと、会社は、原告に対し、原告の任意の協力を期待して残業の要請をしたにすぎないと解すべきである。

(5) 以上のとおり、原告は、ラム課当時、残業につき非協力的であったことが認められるが、右は会社の残業命令を拒否したものではなく、任意の残業協力要請を拒んだ程度のものにすぎず、かつ、それには相当の理由があったというべきであるから、これをもって原告が会社の経営秩序を乱したということはできない。

(七)  加工ミスについて

(1) (証拠略)を総合すると、原告は、昭和四八年一一月ころ、特別注文品であるスピンドルを加工中、その摺動部を誤って規定以上に削りすぎ、そのため右注文はキャンセルされ、会社に相当の損害を与えたこと、しかし、右加工ミスは、原告の職場離脱やビラのメモ書き等とは関係がないこと、が認められ、右認定に反する(証拠略)は措信できない。

(2) 被告は、右以外にも原告には加工ミスがあったと主張するが、(証拠略)によると、(証拠略)中、原告が加工ミスをしたことをうかがわせる記載部分は、昭和五二年春ころ(すなわち本件訴訟係属後)になって会社の従業員堀沢誠によって記載されたものであり、それも他から聞いたことに基いて記載したのであって確たる根拠があったわけではないことが認められ、従って、右各記載部分をにわかに措信することはできない。

のみならず、(証拠略)を総合すると、製造部においては、ある程度の加工ミスは原告のみならず他の従業員にも時々みられることであること、原告は、NC班からラム課に配置転換された直後ころは、必ずしも十分に機械に馴れていなかったと思われることが認められる。

(3) 以上の事実に徴すれば、原告に加工ミスがあったとしても、それが原告を解雇しなければならない程度に重大・深刻な義務違反に由来すると解することはとうていできない。

(4) ちなみに、原告に加工ミスがあったとする被告の右主張は、仮処分事件の控訴審において初めて主張されたものであって、賞罰委員会においても、また、仮処分事件の第一審の際にも全く主張されていなかったことである(以上のことは弁論の全趣旨によって認めることができる。)。

(八)  信頼関係の喪失および経営理念の否定について

(1) 原告が会社の経営理念を否定する言動をとったという被告の主張が理由のないものであることは、すでに判示したとおりである。

(2) また、被告は、原告は上司・同僚の信頼を失うに至ったと主張するが、原告の言動が会社の経営理念を否定するものとしてこれを重視した会社および上司が、原告に対する信頼を失ったとしても、それはいわれのないことであり、かつ、原告に会社の経営秩序に反する行動があったとの被告の主張も前記(一)ないし(七)で認定・判示した程度のものであって、右信頼関係の喪失が合理的な理由に基くものとも解し難い。そして、原告が同僚の信頼を失ったと認めるに足る証拠はないのみならず、かえって、(証拠略)を総合すると、原告は、技術的には優秀とされ、上司・同僚もこれを認めていたこと、原告は、昭和四八年五月までは勤務成績の評価がAであったのに、同年一二月以降は右評価がCないしDに低下したこと、これは、原告が、昭和四八年六月以降二交替制に強く反対し、青年部の情宣活動に熱心となり、ビラをひんぱんに発行するなどして会社および組合執行部を批判する言動をとったことに由来していると考えられることが認められ、以上の各事実に照らすと、被告の前記主張も理由がないといわざるをえない。

(九)  裁判所の判断

(1) 以上、(一)ないし(八)で判示したとおり、被告の主張のうち、(一)遅刻・早退・外出等、(六)残業不協力、(七)加工ミス、(八)経営理念の否定等、の各事実は、懲戒権行使の対象たりえないものであり、また、(二)職場離脱等、(三)ビラ等の原稿書き、(四)私用電話の無申告等、(五)無断外出、の各事実は、会社の経営秩序に違反する行動であり、従ってその限りにおいて懲戒の対象となりうるものである。

しかしながら、右のうち(四)の事実は軽微なことであり、(五)の事実も一回だけのことであってこれも軽微なことというべきであるうえ、右(二)ないし(五)の各事実によって会社の業務に著しい障害を与えたと認めるべき証拠もなく、その程度も、原告を企業外に排除しなければ会社の経営秩序が保てないという程度に重大・深刻なものとはとうてい解しがたく、これらは、就業規則所定の懲戒事由のうち、譴責処分事由(第七七条)か、せいぜい減給・出勤停止処分事由(第七八条)に該当する程度のものにすぎないと解すべきである。

従って、被告が原告に対してなした本件懲戒解雇の意思表示は、懲戒解雇権を乱用した違法なものであって、無効である。

(2) のみならず、原告は、同一の事由に基き、懲戒処分としてすでに第一次・第二次各休職処分を受けており、重ねて本件懲戒解雇処分を受けたものである。

右第一次・第二次各休職処分がいずれも無効であることは、前述したとおりである。しかしながら、これは事後的にそのような法的評価を受けたというにすぎず、右休職処分により原告は、事実上、精神的・経済的に多大の不利益・苦痛を受けているであろうことは推測に難くなく(原告は、会社によって就労を拒否され、かつ、賃金の支払も拒否されたため、仮処分を申請し、かつ、本案訴訟をも提起せざるをえなかった。)、これが事実上懲戒処分として機能してしまっていることは否めない事実である。

そうすると、被告がなした本件懲戒解雇の意思表示は、同一の理由により、原告にさらに追い打ちをかける形でなされた重複処分というべく、右は一事不再理の原則に反し、この点においても懲戒権を乱用した無効なものといわざるをえない。

(3) さらに加えるに、前記第三の二の(一)ないし(五)の判示ないし同三の(一)ないし(九)の各判示を総合すると、被告は、原告が会社の提唱する経営理念を否定する言動をとったことを主な理由として、原告を企業外に排除する目的で、本件懲戒解雇処分をしたものであることは明らかであって、右は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であるというべく、従って、この点においても右処分は無効である。

第四、予告解雇の効力について

一、被告は、本件懲戒解雇の意思表示が無効であるとしても、右は予告解雇としての効力があると主張する。

しかしながら、解雇は、継続的な労働契約の終了をもたらすという重要な効果を伴うものであり、しかも、使用者の一方的な意思表示によってなされるものであるから、このような重要な行為について、いわゆる無効行為の転換の法理を適用することは、相手方である労働者の地位に不当な不利益を与えるものであって許されないというべきである。

よって、被告の右主張は採用できない。

二、つぎに、被告は、予備的に、昭和五二年九月一四日付で、三〇日の予告をもって通常解雇の意思表示をしたと主張するが、前記の判示を総合すれば、被告の右通常解雇の意思表示は根拠のないものであり、解雇権を乱用したもので無効というべきである。

第五、給与等について

一、請求原因八の(一)の(1)の事実、同八の(二)の(1)の事実のうち原告が被告から解雇されることなく引続いて会社に勤務していたならば、別表第一のとおりの給与および別表第二のとおりの賞与を得ていたであろうことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、これに対し、被告は、賞与については、被告会社では欠勤控除を行っており、本件解雇直前の昭和四八年一一月一日から昭和四九年四月三〇日までの原告の欠勤控除は五日分であるから、この実績に基いて計算すると、原告の賞与額は別表第三のとおりであると主張する。

しかしながら、被告は、本件各休職処分および懲戒解雇処分をした後、原告の就労請求を拒否し、原告の意思に反して原告を就労させなかったものであるから(このことは弁論の全趣旨によって認められる。)、右各処分後の原告の賞与額の算定につきそれ以前の実績に基いて欠勤控除するのは相当でなく、被告の右主張は採用できない。

第六、結論

よって、被告に対し、

(一)  本件各休職処分の付着しない労働契約上の権利を有することの確認、

(二)  本件各休職期間四ケ月分の給与の合計金三一七、六〇〇円の支払、

(三)  本件懲戒解雇がなされた日の翌日である昭和四九年一一月三〇日から昭和五四年六月分までの原告が被告から得べき給与並びに賞与の合計金八、三三二、九三三円、およびこれに対する原告の昭和五四年七月一三日付請求の趣旨拡張の申立書が被告に送達された日(記録によると、右書面の副本は原告代理人から被告代理人に直送されているので、これがいつ被告代理人に送達されたかは明らかでないが、遅くとも、右書面が陳述された第二五回口頭弁論期日(昭和五四年七月一三日)には被告代理人に送達されていたものと推認される。)の翌日である昭和五四年七月一四日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払、

(四)  および、昭和五四年七月二一日以降毎月二八日限り、一ケ月金一三〇、五六四円の割合による給与の支払、

を求める原告の本訴請求は、すべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 武内大佳)

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